【広島編】掘り起こすのは、家・家具・大切なもの。そして、想像力。
被災地のボランティアに行ってみたいけど、何していいかわからない。どんな態度をしたらいいかわからなくて行きにくい。では、ボランティアにとって大切なことは何なのでしょうか?力仕事、掃除、炊き出し、様々なボランティア活動がある中で、その根っことなるようなことをインタビューを通して教えてもらいました。
【広島編】あなたにとっては捨てる物!?それが誰かにはかけがえのないものかもしれない。
平成30(2018)年6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に記録的な集中豪雨があり、全国各地で被害がありました。
浄土真宗本願寺派の西本願寺広島別院は、境内にある安芸門徒会館にボランティアセンターを立ち上げ、全国からのボランティアを受け入れ、被災地での活動を継続してきました。
今回、ボランティアセンターの館内整備と清掃活動をした後、被害が深刻だった地域を視察し、その後ボランティアセンターで活動を続けてこられた4名の方に、インタビューをさせていただきました。
《インタビュー協力者》
・広島別院副輪番・ボランティアーセンター センター長 齋藤さん
・宗務所 僧侶養成部 現地緊急災害対策本部(出向) 久留島さん
・広島別院職員 センター長補佐 坂山さん
・社会部 災害対策担当 篠原さん
《インタビュアー》
龍谷大学大学院実践真宗学研究科
(https://www.ryukoku.ac.jp/faculty/graduate/practical_shin/)
修士3年生 奥田・熊鰐・木本・上田
齋藤:この活動を続けていて有難いなぁと感じることもあるんですよ。命の危険を感じるような暑さで、1日3リットルぐらい水を飲んで、ヘトヘトになりながら作業するんですけど、多くの人が「ありがとうございました!」と言って帰っていくんです。あれって実は不思議なことですよね。暑くて死ぬ思いまでしているのに、それでも「二度と来るか!」って言う人はいませんよ(笑)。
–––それってどういう気持ちで言っているんでしょうか。
坂山:それはまた次回来て、活動して味わって下さい(笑)。
–––そうですね(笑)。
サービスの対価としてのお金ではないものさし
久留島:やっぱり、満たされるものがあるんでしょうね。人間同士の活動ですからね。
齋藤:それに似た世界が“お布施”の世界だと思うんですよ。あとは病院で、治療してもらったり、薬をもらったりして、その代わりにお金を払っているのに「ありがとうございました」という世界も同じですよね。
お寺もそうでしょう。お布施を渡した人が「ありがとうございました」と言いますよね。本来なら逆で、お布施やお金を受け取る人がお礼を言うところですが。
–––本来なら逆、というのは、お金で等価交換をしていく私たちの社会ですよね。
坂山:だから、ボランティアは“対価”というものではないでしょうね。
–––皆さん、それぞれのお仕事、業務がある中で、こうやってボランティアセンターでの活動もされているのは、とても大変だと思うのですが、そこでのモチベーションって何なのでしょうか?
齋藤:そうよね。なんなんじゃろうね、それ。
篠原:やるしかないって感じですかね。
坂山:やっぱり“ボランティアだ”ということを忘れないことですかね。じゃないと、朝から夜遅くまで持たないですよね。
齋藤:私らも係としての役割はあるけれども、その係で給料を貰っているわけじゃないから、そこは大事かな。
あとは、きっと、嫌いじゃないんだろうね。
好きだから続けられることに潜む心
篠原:この会館をボランティアセンターにするとなったら、何が必要かって、全部必要なんですよね。電話、FAX、冷蔵庫、洗濯機……そういうのを用意して、設置して、開設当初は夜中の2時、3時まで働いていましたね。
齋藤:この人は好きだからね(笑)。
篠原:そうかもしれないです(笑)。
–––確かに、好きだから継続できるっていうのは、ありますよね。
齋藤:あと、役に立てることがあることの喜びもありますね。
坂山:そこで自分を出せることは、良いことだと思いますね。
齋藤:ただね、しんどいよ。本当にしんどいよ。
だからね、一番言われて嫌な言葉が「無理しないで下さいね」と「頑張って下さいね」という相矛盾した言葉なんだけど。「無理しないで」って言われても、無理しないと成り立たないし、「頑張って」って言われても、まだ頑張んないといけないのかと思います。そこまで追い込まれるようなしんどさがありますよ。
–––でも、嫌いじゃないからこそ継続できるんですね。
齋藤:そうですね。そこでは、色んな人と関われるからです。それは財産になるから。
篠原:僕と坂山さんが出会ったのは、熊本地震の時でしたね。
坂山:あの時、初めてお会いしたけど、1ヶ月くらい一緒に住んだね。
齋藤:皆さんも昨日このセンターに来たじゃない。この活動がなかったら会うことなんかなかったし、ましてやビールを一緒に飲むこともなかったと思う。良い出会いの場になっているよね。
坂山:例えば何ヶ月後に京都で震災が起きた時に、僕らが何か手伝おうかと京都に行けば、「あっ、どうも、あの時の!」ってなりますよね。
–––信頼感みたいのが既に生まれているんですね。
坂山:人間の繋がりっていうのは、大変な中でも、力に感動があるんです。この度、被災された方々の中にも、「今度何かあったら、すぐに飛んで行ってあげるからね」と言って下さる方もおったし、熊本地震の時にはお世話になったからと、今回来てくださったボランティアの方もおったし……。
齋藤:お礼をせずにはおれない身になるんです。
篠原:逆に「災害がないと会えなかったね」と言う人もいますけどね。でも、「災害があって良かった」とは言わないですね。
–––東北の方々も、震災によって津波があったけど海を恨んだりはしなかったそうですね。
坂山:外国の方が日本の被災者の方の態度に驚かれるそうです。本来は自然に恨みを持つそうですよ。自然に恨みは持たず、被災地でも列を乱さなかったり、助け合ったりするのは日本の特徴みたいですね。
–––それは宗教性も関係しているんでしょうかね。
齋藤:そうですね。それと、「恥の文化」もありますね。そんなんしていたら笑われるって思われる。そういう教育も影響しているかもしれません。
情報さえも消費する社会
–––今回の自然災害と、ボランティア活動を通して、学んだことがあれば教えてくださいませんか?
齋藤:人間さえいなかったら、こんなことにならなかったと思うんです。だから、人間の欲望のままに生きていることが、地球温暖化にも繋がっていて、雨がふれば豪雨になるし、そう思えば全く降らなくなったり。
『仏説無量寿経』に「風雨時をもつてし、幸厲(さいれい)起こらず、国豊かに民安くして兵戈(ひょうが)用ゐることなし」(『註釈版聖典』P73)とあって、程よく雨が降って、国土も豊かになって、人々は争う必要がなくなるという。そういうお経の中に生きている我々だから、その教えに生きられるような生活を、この時代にしなくてはいけないんでしょうね。仏教徒として。
坂山:時代に逆らっているんでしょうね。土地というものは自然現象で出来るものじゃないですか。九州なんかは阿蘇山の噴火で出来た土地ですよね。今まで何億年と続いてきた災害があって、僕らが今、復旧をしていますが、復旧すら時代に逆らっている感じがします。今年はこれだけ暑かったから、どこかでとても寒くならないと地球のバランスが取れないですよね。そのバランスも崩れてきている感じですよね。
久留島:消費社会にどう向き合っていくか、ということも考えなければいけないですね。確かに消費社会の恩恵は僕らも受けています。今の北海道がそうですが、電気が止まったら大混乱ですよね。水が止まったら困ります。
でも、大阪の地震が忘れられて、安芸の災害も風化されつつあって、今北海道をマスコミは取り上げていますが、ニュースの鮮度が落ちたらどんどん忘れられていきます。これも一つの消費社会ですね。
情報も消費されていき、鮮度が高いときには扱われ、時間が経ったり、多くニュースに流れるとだんだんと扱われなくなる。この消費社会に疑問を持っていく観点というのは大事ですね。
坂山:関西ではもう広島の災害は取り上げていないでしょう?
–––そうですね、あまり取り上げられていないです。でも消費社会に疑問を持つのはなかなか難しいですね。
齋藤:それは世俗社会にどっぷり浸かっているからでしょうね(笑)。
久留島:だから、どう向き合っていくか、というところだと思います。私たちも消費社会の恩恵は受けていますからね。
–––そう考えると、世俗社会における宗教の意義も強くなる感じがします。
久留島:始まりがあれば、終わりがある。思い通りにならない、ということに、どう向き合っていくかだと本当に思いますね。
坂山:今回は雨がずっと降っていて、活動ができなくて残念だったね。
–––残念と言っていいのか、分からないところですが……
坂山:それも経験ですね。
篠原:熊本地震は小雨でもカッパ着て作業しましたけどね。今回は水害だから、雨が降っていると作業は中止になるんです。
–––そこも含めて、想像力が大事ですね。
齋藤:ボランティアする人と、しない人がいるんですよね。その違いはなんじゃろうかね。
–––何でしょうかね。
齋藤:でも、その行こうとする心が起こるか起こらないかの違いっていうのは大きいと思うよ。親鸞聖人ならどうしていたか、と考えるのが我々の生き方じゃと思う。
久留島:やる人はやるでしょうし、やらない人はやらないですよね。
–––一般に災害があった時に「絆」や「寄り添う」ということも言われますよね。
齋藤:「絆」は元々あるもんじゃけぇ。それを自ら切っているのが今の人々かもしれんね。
篠原:「絆」っていうのは「手綱」なんですよね。
坂山:元々は糸へんに「世界」の「世」と書く「紲」という字で、「世の中の人は見えない糸で結ばれている」という意味合いがあったのが、いつの間にか「半」になってしまった。語源を調べると、そういう意味があるんですよね。
–––元々ある、という観点は持っていなかったです。
助ける、助けられるの2つの立場を超えたボランティアとして、被災地に赴くことの重要性を4人のお話から感じました。
篠原さんが話されていた、「『災害がないと会えなかったね』と言う人もいますけどね。でも、『災害があって良かった』とは言わないですね。」——「災害があってよかった」「災害がなくてよかった」というものの見方から、「災害がないと会えなかったね」ということは、似ているようで全く違うように思います。
大切な、今度も繋がっていけるような人との出会いを感じられる豊かさをインタビューより感じました。
(写真:浄土真宗本願寺派 平成30年7月豪雨 安芸教区災害ボランティアセンター ブログより)
<関連情報>
浄土真宗本願寺派 平成30年7月豪雨 安芸教区災害ボランティアセンター