キーワードは「多様性」今後の寺院と僧侶のあり方|星野 哲さんインタビュー③

星野さんとインタビューアー
中編記事では、地域コミュニティにおける寺院の可能性を見出す上で、「信頼」と「場」という2つの要素を取り上げ、さらに実際にお寺の特性を活かした活動についても触れました。しかし、こうした取り組みを行なっている寺院は未だ少数派と言えます。
 
では、もっと多くの寺院が積極的な活動を展開するには、何が必要でしょうか?星野さんのインタビュー後編では、今後の寺院や僧侶に必要なものは何かを伺いました。

 
 

「『定年後』はお寺が居場所」?

 

無縁社会におけるお寺の可能性

 
 
ーー「居場所」というのは一つお寺という、昔からそういう要素があるかなと思うんですけど、特に逃げ場所になるという意味では、もともと持ってた特徴の一つかもしれません。
 
星野:アジール(社会的に立場の弱い人が逃げ込み、保護される場所のこと)ですよね。ただ最近のお寺は、アジール的な素敵な場所は少ないのが現実ですけど。それで、意識的に開くという意思、行為を見せないと、一般の人からするとやっぱり入りづらいですよ。
 
ーーさらに考えると、お寺が経済観念を超えられているかと言うと、なかなかなくて、コミュニティが崩壊することによって経済的な心配が出てきちゃってますよね。
 
星野:そこを逆手にとるっていうのも考え方ですよね。新潟の妙光寺(インタビュー記事1)なんかは、永代供養の合葬墓の先駆けとして、安穏廟がまさに新たな「経済」の元にもなっているわけですけれども、同時に、それを人と人を繋ぐコミュニティづくりのきっかけにしています。
 
あそこには昔からの、いわゆる檀家さんもいれば、安穏廟を利用する「会員」もいれば、東京とかからいく私達みたいな、定住でも観光でもない、地域に多様な形でかかわる「関係人口」に属する人もいます。そういった、本来なら出会わないだろう人たちが、安穏廟という一つの墓を起点として、一緒にコミュニティをつくり上げる。
 
毎年、安穏廟の合同供養を兼ねて様々なイベントをしてきたのですが、30年を経て、いまや地域のお祭りとして定着しました。こうした寺が起点となったコミュニティづくりはとても面白いと思います。
 
あと、最近は宿坊って悪くないなとも思っています。お金儲けとか、単なる旅館という意味の宿坊じゃなくって、来た人とお坊さんがじっくり向き合う場を提供する宿坊って、ありだなと思ってるんですよね。しかも、うまくいけば経済の基盤になりうるので。
 
ーーそうですね。
 
星野:経済を求めて行くとコミュニティと相反するというものでもない。お寺はお寺なりの、コミュニティ機能を生かした形での経済活動があり得ると思っています。
 
ーーShare金沢(石川県金沢市、かつての良き地域コミュニティを再生させ、人と人が共に幸せになるまちづくりを目指す:http://share-kanazawa.com/)にも伺いしましたが、なかなかの規模でやっていくのは大変だなぁと。ただ資本主義社会からは出ることはできないですけどその中である意味違った価値観でコミュニティをつくって行くというのはありますよね。
 
星野:あそこまでできるのはなかなかないと思いますけど、あれのミニチュア版はいかようにもできそうな、大きなヒントがありそうです。
 
ーーどういったヒントがありますか?
 
星野:多様性を大事にすること。いちばんのヒントはそこなんじゃないかと思います。障害者だったら障害者とか、お年寄りならお年寄り、女性だったら女性ではなくて、あそこはごちゃまぜですよね。
本来コミュニティって、ごちゃまぜの世界なわけです。ですが、経済的には効率化した方が良いわけですから、ごちゃまぜとは逆方向に向かう。でも、お寺はそれとは違い、ああいったコミュニティづくりができる可能性があると思うんです。
 
ーー非効率の経済性という相反するものをどう回して行くかっていうのは難しいなとは思いますね
 
星野:でもそれが、巡り巡ってお寺とか宗教者の価値を高めていくような気がします。例えば、さっき宿坊と申し上げたんだけど、鳥取県の八頭郡に光澤寺っていうお寺があります。宿泊は1日1組限定、しかも過疎の町です。あと、青森県の大間という、本州最北端の街でも1日1組の宿坊をやっているお寺がある。
 
お互いに共通しているのは、宿坊だけでは儲けにはならないこと。だけど、一人ひとりに丁寧に向き合うことによってそれが次の人を呼んだり、もしくはそのお寺がやってるお墓を買うとかということにつながったりとか、別の形で経済的な側面が発生する可能性はある。一見、効率は悪いんだけど、縁をつなぎながら、仏教的なものを体験してもらいながら、お金にもなっていく可能性もあるんじゃないかなと思いました。
 
ーー何か新たな現代社会に応じた宗教空間・宗教的価値の発揮の仕方っていうのも模索していかないといけませんね。
 
星野:そうですね。絶対にニーズはあるはずなんですよね。ただ「仏教を教えてやるんだ」とか「説教してやるんだ」っていうのは違うような気がします。さっきのテンプルモーニングのように、気軽に来てもらって、そこはなんとなく自分の居場所だって感じてもらったら、それは立派な教えだと思ってるんです。
 
それで、一人でも多くの人がお寺に来ることを習慣にしたら、その活動を始めた人は立派な宗教者だなと思います。
 
ーー僧侶の価値はどこにあるのでしょうか?
 
星野:やっぱり、経済ファーストとは違う価値観を体現する生き方をしてる人ではないでしょうか。多くの僧侶の方は、「僧侶は生き方」とおっしゃいますよね。お付き合いしてるなかからいろんなものを感じてもらうっていうのが、一番だと思うんです。
 
ーーそういう意味では、まず自らがそういう価値観でやっていくということですね。
 
星野:そうですね。でも、食べないと生きていけないですからね。経済ももちろん大事です。経済がなくて、それで好き勝手言えるのは、それは逆に怖いです。
 
ーーおっしゃる通りですね
 
星野:あと、僧侶の方は「外」の世界に対して関心がやっぱり薄い方が多い。檀家制度という内側のコミュニティと、いわゆる外側のコミュニティと、ソーシャルキャピタルには2つの面があります。
「結合型のソーシャルキャピタル」と「橋渡し型のソーシャルキャピタル」ですけど、内側の結合ばっかりに関心が向いて、橋渡しする方には関心がないお坊さんが多いかなという気がしています。
 
インタビューに応じる星野哲さん
 
星野:本来、苦を取り除くのが仏教だとすれば、苦しんでいる人に向き合うこと、寄り添うことが本来第一歩だと思うんですよね。そこが抜け落ちた状態で、これがこうあるべきだとか、枠組みをつくるというのはちょっと順番が違う。
 
苦しむ人に向き合うということは、その人の抱えている課題に向き合うということ。いま自分の目の前にある課題に対して、どうしたらいいんだろうと、真摯にジタバタしていくと、多分いろいろ助けてくれる人や考え方や枠組みも出てくる。「このお坊さん、お寺のために活動しよう」と繋がってくる人たちが現れてくると思います。お坊さんが一人ですべてを抱え込むのではなく、周囲の人たちを巻き込めばいいんだと思います。
 
 
地域コミュニティに対して寺院の役割を果たす上で、「多様性」が大きなキーワードであるとおっしゃる星野さん。多様性を担保する上では、どうしても資本主義の経済的な価値観とは相反するものとなってしまいます。地域コミュニティの崩壊によって、経済的な不安が寺院を取り巻いている現状では、この価値観を超えるのは非常に勇気が要ることかもしれません。しかし、経済ファーストとは違う価値観を体現する生き方をすることが、巡り巡って宗教者自身の価値を高めると言います。そして、枠組みやシステムありきで議論をするのではなく、目の前の課題に向かい合うことが大切なのではないでしょうか。
 
3つの記事にわたって、星野さんのお話をうかがいました。数多くの現場を見てこられた方から語られる現状と課題、そして可能性は今後の寺院や僧侶のあり方を模索する上で、大きなヒントとなりうるのではないでしょうか。

 
 

「『定年後』はお寺が居場所」?

 

無縁社会におけるお寺の可能性

 
 
●Interviewee’s profile
 

星野哲さんプロフィール

 

星野 哲(ほしの さとし):立教大学社会デザイン研究所研究員、立教大学21世紀社会デザイン研究科 兼任講師(看取りと弔いの社会デザイン)、東京墨田看護専門学校 非常勤講師(家族社会学)、集活ラボ所長、ライター。
1986年、朝日新聞社に記者として入社し、学芸部や社会部、CSR推進部などを経て2016年に独立。 記者時代から墓や葬儀の変化を通してみえる家族や社会の変化に興味を抱き、取材・研究を続ける。 終活関連分野全般、特に看取りを中心に人生のエンディング段階を社会でどう支えるかに関心がある。 社会的リソースとしての寺院の役割にも着目。寺もその一つになりうる「居場所」など、人と人とをむすぶ活動が大切と考え、「終活から集活へ」の考えを広げるため「集活ラボ(https://shukatsu-labo.amebaownd.com/)」を19年に立ち上げる。

 
 


 

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