僧職図鑑15―麻田弘潤(あさだこうじゅん)―《後編》

2004年、新潟県中越地震が起きました。麻田さんは震災を機に、お住まいのお寺を開放し、さまざまなイベントやワークショップを主催するようになりました。斬新なアイディアの数々と、これからのお寺の役割についてお話しをお聞きしました。

 

後編001

 

― 麻田さんのお話しを聞いていますと、開かれたお寺にしたいという思いが伝わってきます。

 

そうですね。

僕が幼いころはお参りにこられる方がたくさんいて、お寺のことや法話を聴いて「ありがたい」って感覚を知っている人が多かったように思うんです。
でも今はお参りのされる方も減って、昔ながらの感覚がわからない人の方が多くなってきています。そうなると従来通りやってもしっくりこない人の方が多いんじゃないかって。

だからどんな方でも足を運んでもらえるお寺にして、仏教に触れることからはじめていただける環境づくりはしていきたいです。

 

― 京都で仏教を学び、新潟に戻られたあと、新潟県中越地震を経験されました。その時、お寺ではどのような活動をされたのでしょうか?

 

2003年に新潟に戻ってきました。その翌年、新潟県中越地震が起こりました。震源地に近い小千谷市は震度6強という、とてつもなく大きな揺れに見舞われてしまって、その影響でライフラインが閉ざされ、大変な状況でした。

僕の町内も大きな被害を受けました。お寺は新築で無事だったのですが商店街は大きな被害を受けました。全壊の建物もありました。
こんな状況で町内の皆さんは近所の幼稚園に避難を始めたのですが、避難場所にするつもりだったお遊戯室が応急危険度判定で赤紙(危険)を貼られてしまったんですね。それで仕方なく外にテントを設置して避難生活を始めようとしていました。

それを知った住職が町内会長のところにいって、「うちの本堂は無事だから、こっちに避難してきたらいい」と声をかけ、急きょ本堂が避難所になることになりました。

 

― 本堂を開放したのですか?

 

はい。お寺の壁や柱には大きな亀裂もなく、外の駐車場が広かったので、受け入れ場所にぴったりでした。約80名の方が本堂に毛布を敷いて寝泊まりしていました。本堂の外は広い駐車スペースがあったので、救援物資を置いたり、ボランティアさんが炊き出しに使うテントをたくさん設置することが出来ました。避難生活をするにはちょうどいい感じでした。

ただ、人々が本堂で生活することになったので、本堂の阿弥陀さまは庫裡(住居部分)にある仏間にご移動いただきました。朝晩と本堂できっちりお参りするよりも、避難されている方に出来るだけリラックスして生活していただきたいと思い、本堂を純粋に避難スペースとして使ってもらうことにしました。

お参りすることで喜ばれる方もいらっしゃったかもしれませんが、やはり気を使って早く出ていかなくてはと思う方もいたと思うのです。

何かプレッシャーを与えながら日々の勤めをこなすのか、本堂としての役割を外して、ただの避難スペースとして皆さんに使ってもらうのか。

そんなことを考えた時に後者を選択することになりました。

 

― 大きな決断だったと思います。仏教者としての問題意識はどのあたりにあるのでしょう?

大きな決断というより、自然な感じの判断だったと思います。

震災以前は、お寺は仏さまのお話を聞く場所で、僧侶はそれを伝える役割という認識だったのですが、自分が被災して、周辺に自分を含めて被災者が溢れかえっている状況の中、他に出来ることがあるのではないかと考えるようになりました。
震災直後、ある手紙をいただいたんですね。そこには法話が書かれていて、「被災して非日常を苦労しているのは煩悩によるものであり、そんなあなたこそ、仏さまはほっとかない。今こそお念仏が必要だ」ということが書かれていました。でもそのとき必要だったのは水と食料と住まいだったわけで、書かれていることはわかるのですが、普段何気なくありがたく聞いてきた言葉がすごく残酷なものに感じちゃったんです。

お寺であったり仏教者は普段はそれでいいと思うのですが、何か目の前で苦しんでいる人を目の当たりにした時に、いつも通りのノリでやっていてはダメなような気がします。このような時こそ、普段聞いていることを実践して、自分なりに理解して、実践して、苦しんでいる人に寄り添わなくてはいけないと思いました。 仏教は誰かを分析するものではなくて私のものだからです。

仏教を現実逃避の論理として使わないようにだけは気を付けています。

後編002

 

― 今後、麻田さんのお寺はどのような役割を担ってゆかれるでしょう

 

今は時間があれば色々とイベントをやりながらお寺を開放しているのですが、ただ場を開放するのではなくて、日常あまり考えることのないようなことをゆっくり考えることが出来る場としての役割はもちたいと思います。
例えば2011年の秋に放射能の勉強会を極楽寺で開く機会があったんですけど、そこで長時間じっくりお話をお聞きすることが出来たことで、原発の問題に関心を持つことが出来ました。こういった一般には取り上げにくい話題にもじっくり触れていけたらと思っています。

 

― 今後はどのように活動を展開されますか。

 

僕にとって極楽パンチは軸となる活動ですけど、10年程やらせてもらってきましたが、僕自身の置かれている環境も変わってきたこともあって、同じようにやっていくのも無理がある話なのかなとも感じています。
今考えているのは、「極楽パンチ」をバージョンアップさせて、日常の生活に根差す活動展開が出来たらなぁと思っています。

もっと日常的に人が出入りするお寺にしていきたいと思います。