震災から8年、「被災地」の今はー。

 

 

 

東日本大震災が発生してから丸8年が経過しようとしていた2019年3月8日、龍谷大学大宮本館で追悼法要が行われました。その際に、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の実習助手である金澤豊さんの講話がありました。

震災後8年に亘り、ボランティア僧侶として被災地での傾聴活動に取り組んでこられたことを話してくださいました。金澤さんが見た「被災地」の今は……

 

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災害公営住宅の様子(写真提供=金澤さん)

私たちやメディアが見る「被災地」

 

最初に金澤さんがスクリーンで見せたのは、綺麗な空と綺麗な建物が写っている写真でした。

「これが被災地のいち風景です。被災地、被災地と呼ばれ続けてきたその場所はいま、復興しております」と言葉を続けます。綺麗な建物とは、災害公営住宅 (=写真)と呼ばれるもので、震災で家を失われた方が仮設住宅から移ってこられる場所 のひとつです。

日本ではない、どこか外国の風景にも見える1枚の写真。多くの方々がイメージする「被災地」とはちょっと違っているかもしれません。

 

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8年前のあの時、みなさんは……

 

「みなさんは8年前のあの時、何をされてましたか」金澤さんはこう投げかけました。

少し思い出して見ますと、テレビは全て報道特別番組に切り替わり、コマーシャルも一般企業は全て自粛しておりました。

私は当時高校2年生でしたが、明らかに「異常事態」ということを実感させられたのを覚えています。

震災ではおよそ20000人の方が亡くなられました。3月11日のお昼までは普通に暮らしておられた方々が、津波によって命を落とされるという衝撃的な出来事です。

 

「600キロ」という被災範囲

 

北の北海道から、南は東京湾という、とてつもなく広い範囲を津波は襲いました。距離にしますと600キロあるそうです。毎年、3月11日が近づくと多くのメディアは「被災地の今」と言った具合に、被災地の現状を多分に報道します。今年もその例に漏れませんでした。

しかし、金澤さんは「テレビのスポットが当たっている場所は限りなく点である」と話します。

 

メディアは、例えば「宮城県石巻市の商店街はこのように復興しました」とか「福島県の制限区域は未だ復興の手が及んでおりません」と言ったふうに報道します。そのような情報を元に、私たちは復興したのか否かを判断しているわけですが、曰く「現状は様々」だそうです。復興の進み具合は地域によって様々で、5年経てば、あるいは10年経てば復興すると言った画一的な見方はできないのが現状です。

 

そして、600キロという距離は京都を中心に考えますと、西は長崎県あたりに到達してしまうほど広大なものです。例えば広島や福岡に行けば、人々が話す言葉は違ってきますし、美味しい食べ物だって異なります。

つまり、被災範囲が非常に大きく「被災地」と一言にしても多様な文化、たくさんの人々がそれぞれの状況において困っていらっしゃるのが現状です 。

 

テレビカメラの外ではー

 

「テレビやインターネットから知り得る情報だけではない」ということを金澤さんは繰り返し強調されておりました。ニュースでは、災害公営住宅が完成し、被災者が仮設住宅から転居しました。といった風に報道されますが、実際は「もう60(歳を)過ぎた夫婦がが4回も5回も引越しをできると思うのか?もうヘトヘトだ」という声も聞こえるそうです。

災害公営住宅は未だに空きがあります。仮設住宅から転居したくても、費用がかかるため泣く泣く見合わせる方もおられるのが現状です。果たして、本当に被災地は復興したと言えるでしょうか。

 

それぞれの状況において困っていらっしゃるのが現状です。

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居室訪問活動を通して気づかされたもの

 

多くの課題が山積している中で、金澤さんは「居室訪問活動」と呼ばれる、寂しさを抱えていらっしゃる方、孤独にさいなまれている方に直接出向くという活動を展開されています。全く知らない人を突然尋ねるという活動の中では失敗も多くされてきたそうです。

 

ドアをノックすると、部屋の中から重たい足音。勢いよくドアが開くと、そこには50代くらいの女性の方が、大変不機嫌そうな様子でいらっしゃいました。

 

「ボランティアです。こちらの仮設住宅を1軒ずつ回らせてもらいまして、ご様子いかがかなとまいりまして。」と話しかけると、その方は不機嫌な表情を崩されず、

 

「あんたに私のことを話して、何か私にいいことがありますか?」

 

とおっしゃられたそうです。居室訪問のボランティアは、例えばお米や支援物資を持っていったり、何か情報を伝えたりといった「何か形の残る良いこと」をしているわけではありません。

そんな問いかけに金澤さんは返す言葉が見つからず詰まっていると、女性の方は

 

「あんたに私のことをしゃべったってわかるわけねぇだろ」

 

とボランティアに対して怒鳴られたことがあったそうです。

 

金澤さんは、初対面の方に怒鳴られて心が折れそうになりました。
 「わからねぇだろ」と問われた時、どう答えるべきでしょうか?

 

この問いに対して与えられた選択肢は2つです。分かるか、あるいは分からないか。

 

1ヶ月間、被災地の状況を目の当たりにしても「わかりますよ」とはとても言えませんでした。

しかし、「わからないです。さようなら」とその場を離れることも、許されないように感じられたそうです。

「奥さんわからないです。しかし、わからなくても、いや、100%わからなくても

10%、いや5%でもわかりたいと思ってこちらの方にまいりました」

 

金澤さんは、こう答えました。すると、女性の表情がふっとゆるんだと言います。

 

「わかんないんだったらおしえてやるよ」

 

そこから女性は、30分ほど仮設住宅での苦しい生活がどれほど辛かったかということを吐露されました。そして話を終えた後、

 

「なにもしらないあんただから、話ができたんかもしれないな」

 

とおっしゃったそうです 。

 

金澤さん自身、津波を経験しておらず、災害に関して何も知らない中で、自分に何ができるのか不安に思っていた時期でした。そのような状況で、「なにもしらないあんただから」という言葉に、第三者による聞くという活動がとても重要であること、そして相手のことを知りたいという気持ちが大切であることに気づかされたと言います。

 

 

マスメディアが発達し、時に必要な情報は何でもテレビやインターネットで入手できると錯覚してしまいます。しかし、こうしてニュースに取り上げられている被災地の情報は氷山の一角に過ぎないということを改めて認識させられました。

そして、被災地の方々のお話を聞くということ、また被災地の方々のことを知ろうとするということが大切であると金澤さんは話されました。聞くということも、知ろうとすることも一見簡単に見えます。しかし、実際はとても難しいことであるのです。

近日公開予定の、後半の記事では、「聞く」ということについてお話しされたことをレポートします。

 

 

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<関連書籍>

『ボランティア僧侶日誌』

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