「かえるのがっこう」設立の理由と堀之内さんの人生の歩み


山口県長門市にある海と山に囲まれた「油谷島(ゆやじま)」で、2014年7月から小さな自然学校「かえるのがっこう」を主催している堀之内健さん。
「かえるのがっこう」設立の理由には、堀之内さんの紆余曲折の人生が大きく関わっていました。そこから見えてきた「自由」の本当の素晴らしさ・大切さを、「生きる力を育む」ということをキーワードに話してくださり、現代の教育・子育てのヒントとなる言葉をたくさん聞かせていただきました。
 
 

かえるのがっこう村長・堀之内健(ほりのうち・けん)さん
1982年、奈良県生まれ。広島大学工学部卒業後、IBMでシステムエンジニアとして、4年勤務。半年間の世界一周放浪の旅、1年間の3.11東日本大震災支援活動を経て、こどもが自由に伸びやかに過ごす事のできる居場所を創る事を決意。2012年より大阪で公立とNPOの小学校勤務経験を積み、2014年4月に山口県長門市の秘境油谷島へ移住。同年7月に、小さな自然学校『かえるのがっこう』を立上げ、将来的に森のようちえん、フリースクールへの移行を視野に入れつつ、キャンプ自然体験活動など開催中。これまでの参加者数1000人以上。書道家。詩人。笑顔の種まき屋さん代表。

 
 
――「かえるのがっこう」とは、どういった学校なのですか?
 
堀之内:一言で言うと、自然体験ができるこども向けの自然学校ですね。週末を中心に、小学1年生〜6年生を対象に自然体験キャンプを実施しています。
基本的にプログラムはなく、虫を捕ったり、山を探検したり、釣りをして魚をさばいたり、野菜を収穫して料理を作ったり食べたりと、自然いっぱいの中で自分の感じるままに好きなように遊んで、自分を表現できる場所です。何をしてもいいし、何もしてなくてもいい。遊びたいと思えば遊べばいいし、やっぱりゴロゴロしたいと思ったらゴロゴロしたらいい。自分の気持ちにしたがって、自分で何をするかを決めて、自分で動いていく場所です。やりたいことがあれば、いくらでもやって良くて、好きな事に思う存分、取り組むことができます。
また、それらの時間を同世代のこどもと一緒に過ごすことで友情や社会性を育む場所でもあります。
 

 
――かえるのがっこうを始められたきっかけを教えてください。
 
堀之内:言ってしまえば、今までの全てですね。僕は2006年に、広島大学を卒業してからすぐに東京で働き始めました。日本アイ・ビー・エムという会社で、SE(システムエンジニア)の仕事をしていたのですが、僕自身SEがやりたくてこの会社に入ったわけではなくて、学生時代に取り組んでいたアメフトで誘われて初めて会社名を検索したくらいで(笑)。
 
3年は頑張って仕事し、その甲斐あってか普通にこなせる様にはなっていたのですが、やりがいを感じられず、全然楽しくなくて、アメフトの方も鳴かず飛ばずで、だんだんとおもしろくなくなっていきました。そこからしばらくは、会社は嫌だけど辞める勇気もなく、会社でお金とストレスをためて、飲み屋でお金とストレスをはき出すという日々を過ごしておりました。何のために仕事をしているかわからず、生きてる意味も感じられず、怠惰な日々を送っていました。
でも、「このままの人生では面白くない!何か面白いことをしたい!」と思った時に、兼ねて好きであった旅に出ようと決め、会社を休職したのです。そして、思い立って、世界一周の旅に出ました。
 
そしたら、世界は大きく、そして、広かいことがわかったんです。
自分はちっぽけな世界で生きていたんだなと思いました。日本人や現地の人、旅人、ホームレス、小さなこども達など色々な人と出会いと別れを繰り返す中で、それまでの価値観がどんどんと壊されていき、「会社を辞めても死なない」と思い、旅の途中で上司に「会社、辞めます」と連絡しました。その時も正直まだまだ迷いはあったのですが、でも、辞めることから始めよう、と。
そして、2011年1月に帰国し、退職したのが2011年の2月末だったんです。
 
――震災の直前ですね。
 
堀之内:そうなんです。会社を辞めて、11日後に3.11が起きました。最初は、テレビなどの映像をみて、ただ悲しんでいるだけだったのですが、ある時「東北でこどもが餓死している」という情報を聞いたのです。その時に自分の中でスイッチが入りました。「しばらくは自分の人生はどうでもいい、とりあえず今できることをやろう」と思い、その時から自分にできることをし始めました。
 
次の日に物資を集めて、被災地に送ることになり、数日後には現地に入り、1週間後には現地で寝泊まりしながら支援活動していました。日中はそこで出会った仲間と汗水垂らして活動し、それをSNSなどで発信し、人を呼び込むことをしていました。泥出しから、家の掃除、農家さんのお手伝いなどなど1年近く活動していました。
 
月日の経過とともに、どんどんボランティアの数が減っていき、被災地も綺麗になっていき、活動の案件も減っていく中、気がつくと、これから何をしたいのかわからなくなっている自分がいました。この活動を始めた当初の「しばらくは自分の人生はどうでもいい」という言葉の通り、自分の人生がどうでもよくなっていたのです(笑)。
 
でも、このまま自分がここでのたれ死んだとしたら、きっと被災地で関わらせていただいた方々に悲しい想いをさせてしまうだろうなと思った時に、「そんなことはしたくない!その人たちが喜ぶことをしよう」と思いました。
 
そこで自分の人生を振り返ったところ、世界一周の旅のことを思い出しました。途上国を中心に30か国くらい行ったのですが、どこへ行っても生活レベルなんて関係なく、笑顔の人がとても多くて、また、その笑顔がめちゃくちゃ素敵で、いっぱい元気をもらっていたんです。
特にこども。どこの国へ行っても、こどもが屈託のない笑顔で近づいてきて、一緒に遊んでいたのですが、もうそれが楽しくて楽しくて。一人旅の孤独な寂しさとかもあったと思うのですが、現地のこどもらと遊ぶことで癒されていましたし、おかげで掛け替えのない時間を過ごすことができました。
 
そんな旅を続けて、半年後に帰国したのですが、その時にこの旅での最大の衝撃を受けました。
 
関空に降り立ち、入国手続きをし、預けていた荷物を受け取るところ辺りから何か違和感を覚えていたのですが、何かわからず、そのことを実家に向かう電車の中で2、3時間揺られながらずーっと考えていました。しばらくして、その正体がわかりました。
笑顔の人が少ないことにショックを覚えていたのです。
今まで行ったどこの国より経済的には豊かなのに、笑顔が少ないんだって。旅をしていたこの半年間は当たり前にあった笑顔が、日本には少ないんだって。とてもショックでした。
 
でも、そこで気づきを得ました。やっぱり自分は笑顔が大好きだし、周りが笑顔だと自分も心地いいし、「笑顔が少ないなら笑顔をひろげていく活動をしよう」と。
何をしてそういう活動をしていくかなどは全然わからず、その時は漠然としか考えてなかったのですが、それから震災の支援活動を経験して、「こどもが好きだから、こどもに関わる仕事で笑顔を広げていきたい!」と思ったんです。
 
ただ、型にはめて行う教育ではなく、こどもがワクワクのびのび過ごせるような場所づくりをしたいと思いました。
公立教育ではなく、いわゆるフリースクールのようなものがしたいと考えたわけです。それで、こども向けのフリースクールをする上において、その前段階として、かえるのがっこうで週末に自然体験キャンプを始めました。
 
 

自由は自然が教えてくれる?

   

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掲載日: 2021.04.13

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