<こどもの日ピックアップ>子育て×仏教「ジグザクな人生の歩み。学び続ける生き方」
――丘山先生
ここで、皆さんにちょっと質問です。
小さい頃、どんな夢がありましたか?10秒考えてみて。さっき、スタッフさんに聞いたら寝てる時の夢ですか?って、そんなわけないよ。大きくなったら、こんな風に生きていきたいや小学生や高校生の頃の夢ね。
僕の場合は、今ずっと、自分のジグザグの人生を思い出していて、小さい頃からのことがそれなりにつながっていくなぁと感じてます。
まぁ、大人の皆さんたちは手遅れだけど(笑)。お子さんたちには「何になりたいの?」「どうやって生きていきたい?」と、問いかけてほしい。なるべく、面白いことでね。
やっぱり偉いんだ、と思われるのは嫌なんですけど、ぼくは中学の頃から、この世界から戦争、争いを無くしたい、人の心から憎しみをなくしたい、と本気で思っていた。
その思いは学生運動していても、何しても変わらない気がする。
この世界から戦争、争いを無くすこと。人の心から憎しみをなくすことは不可能なことなんだってわかってはいるんですけど、そっちに向かって生きていきたいなぁと思っています。
実は僕、大学で教えるのは好きじゃないんです。座って、じーっと勉強していていいのだろうか?って思っていた。もっと現場で働きたいと思っていた。そんな時に京都の西本願寺の方から、「あんた、研究者じゃないだろう。自分の代わりに全国をまわって喋って来い」と言われた、それに飛びついて、パッと大学をやめて。西本願寺へ来ました。
それはある種の挫折というか、とにかくいつも、ジグザグで試行錯誤しながら生きています。
以上で自己紹介を終わります。
――司会
先生の自己紹介の中でもいろんなエッセンスがあるなぁと思って聞いていたんですけど、本日は6つのテーマを選んでもらって、会を進めていきたいと思います。イメージとしては生放送版、徹子の部屋ですね(笑)。
テーマは6つ
・どうやると成績が上がるのか?
・親子の「対話」していますか?
・よい大学ってなんだろう?
・「信じている」は親の身勝手?
・学び続ける生き方とは?
・「賢さ」ってなんだろう?
注意事項が一つだけあります。
例えば、質問してもらって、その理由を話してもらって、丘山先生のお話を聞くことになるんですけど、そこで聞くだけでなくて、問いをもってほしいです。丘山先生はコミュニケーションをとりたい方ということで、急に質問が飛んでくる可能性もあります!
フリーズしてもいいですよ。意見を持って帰ってもらうのもいいのですが、問いを持って帰ってもらうことも意識してもらえたらなぁと思います。
では、始めていきましょうか。
早速ですが、聞いてみたいことがある方いらっしゃいますか?
――参加者女性
「学び続ける生き方とは?」
私たちが生きてきている年代と子どもたちが受けてきている教育ってとても違っていて、世の中も変わっていて、ジェネレーションギャップの一言で片付けたくない、と思う。
そして、大人も学びたいなぁと思うんですよ。そういう生き方って、私だけなのかなぁって思うと不安になったりしてしまいます。
そこも、世の中の意見と違いを感じたりすることもあって。
――丘山先生
これは僕にとって、常識的な生き方だからなぁ(笑)。あんまり、当てて欲しくなかったなぁ(笑)。
一番困る質問があって、「どうやると成績が上がるのか」っていう質問は来てほしくないなぁと思ってましたけど(笑)。
ただ、「学び続ける生き方とは?」と「どうやると成績が上がるのか」は関連していると思っています。
勉強する時に、大きなテーブルで勉強するのが好きで、親は親で勉強して、子どもは子どもでそっちで勝手に好きなことをやっている。1つのテーブルで、みんながそれぞれ自分のことをしているっていいですよね。最近は自分の部屋をみんなが持つようになったりして、個別の空間で机に向かって勉強とか仕事とかをする機会が増えてきているみたいだけど、1つのテーブルで親子が一緒に勉強や仕事をしていると、子どもが「お父さんこれ教えて」「どうなってるの?」と聞くことができて、父親も答えられる環境にある。
けど、大人は大人で一生懸命に勉強している。子どもが勉強をしていない時でも、こっちはこっちで学んでいる。それは何か寂しんじゃないかな。
机に向かうだけが、学ぶだけが勉強じゃないんだけど、外でいろんなカルチャーセンターに行って勉強する感じではないんですけど、学ぶっていうのは僕の場合は「考える」「問う」ですね。
とどのつまり、自分がどうやっていくかを生涯に渡って考え続ける。それが僕の人生なんですけどね。
基本的には僧侶は特にそこをやりますね。「生老病死」生き死に、を問い続ける。何故生きていくか、を問い続ける。学び続けるということ。
「学ぶ」というのは、何か必要があってこそ学べる。問いがそもそも、その人やその子にないと学べないんですよ。
だから、学ぶということは=問いを持ち続ける、と言うことになるんですよ。これは子どもだけじゃなくて、親や大人もそうですね。
天邪鬼だから言いますが、特にこういう子育ての会では「これが、大切です!」や「これが本質です!」とかよく聞くことがあるんですが、「これが大切だ!」とか誰がわかるんだろう、と内心ふと思うんですよね。講師の先生に「これが大切です!」と言われて、「あ、そうだそうだ!その通りだ!」と常に思わないでほしいんです。常に、本当かな?といつも疑問を持っていてほしいですね。
あとは誰かの意見を聞いて、自分の意見とは全く異なったことの場合、「彼が言ったのは間違いだ!」じゃなくて、「僕だったらこう考える」とかがいいと思いますね。
皆さんも、僕が今日、こんな風に言ったから、これが正解だ!じゃなくて、あいつはこう考えるんだなぁと思ってほしい。
どっちの意見が正解だ!ということが重要ではなくて、自分だったら、こう考えるかな。というのが、そっちの方が大事。自分で考えていくということですね。
子どもに対してもそれは同じことですね。「お父さんはこう考えるけど、お前はどうだ?」とか聞いてみる。
親や大人の考えを押し付けるんじゃなくて、お父さんが自分自身にも問い続けて、子ども(相手)にも問い続ける。
――司会
一緒に勉強することが大事と初めにおっしゃられていましたのは、ただ勉強するだけではなくて、問いを共有することが大事っていうことですか?
――丘山先生
やっぱり、子どもが自分の部屋で勉強するのはあんまり好きじゃないかな。
食卓で勉強した方が、だらしないけれどもなんかいいよね。そんな気がしているなぁ。
No.2の記事はこちら「信じているは親の身勝手?」
No.3の記事はこちら「マイナスの経験の中で思うこと」
No.4の記事はこちら「自己の肯定とは何か?」