「おじいちゃんはヤモリに生まれ変わった」タイの人びとが持つ死生観とは|古山裕基さんインタビュー<後編>
タイから日本へ伝えたいこと
(写真提供:古山さん)
――そのご経験から、古山さんはどう変わりましたか?
古山:以前よりも死生観を考えるようになりましたね。また、「今」を意識するようになりました。
日本では一般的に、過去を振り返らず、先を見据えない無計画な生き方はネガティブな印象を持ちますよね。でもタイの人は過去の失敗や成功にとらわれず、また未来への備えといったことも考えず、「今」をどう過ごすかをものすごく意識しているんですよね。恐らく、子どもの頃から仏教に触れることや瞑想を繰り返す中で養われているものだと思います。
それは死生観にも繋がっていて、以前は生きる意味ってなんだろうと思い悩んだこともありましたが、今はあまりこだわらなくなりました。「今」を大切に、ただ生きて、ただ命を終えていけば良いのかなと思うようになりましたね。
――他方で、古山さんが日本に居た時から大切にされているものはありますか?
古山:「自立」とは何かを考えることでしょうか。タイに行くために出版社を退職する時に、社長から「早く自立できるようになりなさい」という言葉を頂きました。社長直筆の手紙に書いてあった文言です。
それから20年が経過した今、自立できているかどうかというと、全然できていません。手紙を改めて見返すのも怖いほどです。
そもそも、自立って何なんでしょう?僕が思うに、自立とはひとりで何でもできることではなくて、他人に「助けてくれ」と言える自分になることなんじゃないかと思って。
現在は日本に一時帰国し、京都の北部で昆虫食を広めるプロジェクトのお手伝いをさせていただいています。その中で、広報物やイベントのアイデアから、行政との書類のやりとりまで多くの人に助けていただきました。タイの児童養護施設で子どもたちに助けられたのもそうですよね。もしかすると、自立っていうのはこういうことを言うのかなと。
他人に支えられる中で、他人の価値観を浴びて自分自身の糧にしていく。そこに「自立」という言葉が、他人と繋がるという意味合いを含んでいるのではないかと思います。
――最後に、日本とタイ、どちらの生活も経験された古山さんが、現代の日本の方々に伝えたいことはありますか?
古山:日本で暮らす方々には、「こだわりすぎず、もっとおおらかに生きてほしい」とお伝えしたいです。例えば、タイのお寺は正門こそあるものの、その他の箇所からも自由に出入りができるようになっています。それは隙間があるという物理的な意味でもありますし、日々色んな人が出入りする中でお寺がいろんなイベントの場になるんですよね。当然、いろんなハプニングが起こります。でも、そうしたハプニングさえイベントに含まれていると言うか、不確実性に対してとにかく寛容なんですよね。
仏教ではこだわることを「執着」と説かれていると聞きました。そうした寛容さも、もしかすると仏教信仰と結びついたものなのかもしれません。タイ人の生き方をそっくりそのままに、というわけではありませんが、心豊かな生き方を得られるヒントは確かにあるのではないでしょうか。
――ありがとうございました。
編集後記
「仏教」と一言で表現しても、その信仰のありかたや、信仰者の価値観は国によって大きく違うことを教えていただきました。「自立」とは、他者の価値観を浴びて自身の糧にすることだった、と古山さんがおっしゃるように、我々もまた、他者や他国の価値観を学ぶことで日々の生活がより実りあるものになるのかもしれません。
興味深いエピソードを通して、何か大切なことを教えていただいたような気がします。古山さん、ありがとうございました。