「子どもの自立が心配」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「子どもの自立」。いくつになっても自分の子どもがしっかりしてくれなくて、心配。そんな悩みを持つ親御さんは決して少なくないようです。
いったいどうしたら、この心配は無くなるのでしょうか?そして僧侶ならこの悩みをどう考えるのでしょうか?
今日のテーマ:子どもの自立が心配
いい年なのに、子どもがいつまでたってもしっかりしない。
自分が死んだあと、子どもが自立した生活を送れるだろうか
「自立」ってそもそもなんでしょうね。
これは僕の個人的な印象なんだけれど、今の人たちって余り支え合う感じがしないよね。まず自分で立つことが大事で、他人にまで気を遣っている余裕がないというか。
そうですか?
自分が立つことに精一杯で、自立ではなくて自分勝手になっている人を見ると心配になる。結局最後に助けてもらえる人は、なんだかんだ言って他人を助けてきた人だからね。
そう考えると、自立というのはちゃんと周りに助けてくれる人がいるか、ということなのかもしれない。頼れる先を増やしていくことが大切なんだろうね。
じゃあ、「しっかりする」と言うことはどうなんでしょう?
「しっかりしている」、と感じるのはどんな状況があるかな。
うーん、いろんな状況を、こちらに頼らず一人で乗り切っているときとか?
誰かに頼らず問題を自分で決断をして乗り越えている時とかですか?
そういうことの積み重ねを見て、親は自分の子どもを「しっかりしている」と思うわけだ。でも今の「しっかりした」親って、そんなに子どもに決断させたり状況に対応させたりするかな?
そう言われるとちょっと考えますね。「しっかりした」親ほど、子どものことを思ってあらかじめ問題を取り除いておいてしまいそうな印象はあります。
ということは、親御さんが丁寧に育てた結果、お子さんは決断をする機会が無くて、親御さんに「しっかりしている」印象を与えられていない、というのもあるんだね。
親御さんとしては我慢のしどころだね。つい口出ししてしまいたくなるかもしれないけれど、そこは我慢して、お子さんの決断と結果を見守らなきゃならない。そうしないと、いつまでたってもお子さん自身が決断して、「しっかりする」機会はやってこない。
自分の意見ややり方に執着せず、お子さんを一人の人間と認めて支援していく、というのはとても難しいことだと思う。でも、今からでもそれをしなければならないんじゃないかな。
そういう意味では親御さん自身の自立が問われる場面なのかもしれませんね。
お子さんを信頼できるようになる日が来ない限り、この心配は無くならないだろうし、信頼できないままならば、この問題が無くなっても今度は収入のことであったり、結婚のことであったり、とにかくまた別のことが心配になるだけだと思うよ。
僧侶たちの議論はまだまだ続きますが、ひとまずここまで。
以上、僧侶の部屋での座談会でした。何かのヒントになれば幸いです。
《本日の僧侶プロフィール》
田舎好き僧侶
大自然とスローライフをこよなく愛する僧侶。将来は畑をいじって暮らしたいと夢見る。
サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気づき僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
家電僧侶
学生時代から6年間、家電量販店でアルバイトをしていた僧侶。家電業界と接客について理解がある。
「僧侶の部屋」では、様々な経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。