ウィズコロナ時代。死についてオンラインで話しませんか?
デスカフェ×仏教
――今回DeathCafeWeekにも僧侶が関わっていたかと思います。では、仏教がデスカフェに関わる意味とは何でしょうか。
吉川:仏教とデスカフェは親和性が高いと思います。参加者の中には、お寺という場所の持つそこはかとない信頼感や安心感を期待して来られる方もいますし、そういった思いは主催者側にもあると思います。
また、僧侶がいると話しやすいという意見もあります。込み入った話をする場合でも、なんとなく安心して話せるようなイメージがあるのかもしれません。
――参加者の中には、あまりお寺という場所になじみがない方もいるかと思います。そういった方も気軽にお話できるものなのでしょうか。
吉川:デスカフェ自体あまりなじみのないイベントですので、お寺という場所による緊張感はあまりないかもしれません。ただ、使わせていただくお寺の広さや参加人数によって緊張される方はいますね。
――仏教がデスカフェに関わることで、死をカジュアルに語りやすくなればいいですね。
――吉川さんはDeathCafeWeekのサイト内で死を語る場の必要性についてコメントされていたかと思います。今なぜ死を語る場は必要なのでしょうか。
吉川:今後日本は多死社会になっていきます。増加する死への心理的な対応、死を迎える際の心構え、遺された人のケア、看取りの形態の変化など、人の死に比例して死に関する課題も多くなっていきます。こういったことから死に関する価値観や死生観の変化も予想されます。
しかし、死について話しづらいという状況は変わっていません。
そこで死について語る場が増え、死を語るハードルが下がれば、様々なところで効果が出てくるのではないかと思ったんです。近しい人とは死を語りづらいという話をしましたが、現実的には近しい人とこそ死について語る必要性が出てきます。そんなときデスカフェが広まり、死を語りやすい世の中であれば、もしものときも話しやすいですよね。
実際デスカフェのアンケートでは「こういう場があってよかった」「今まで話せなかったことが話せた」というような意見を多数いただいております。
――コロナ禍の状況もあり、人々の死への認識が過敏化していることは確かに考えられます。そうして自分や家族のこととして死を考えるようになったとき、不安や焦りを話せる場、あるいは話しやすい環境があると、ありがたいですね。
吉川:初めてデスカフェに参加される方で「こういった場があるのを知らなかった」とおっしゃる方も多いです。デスカフェが増加傾向にあってメディアに紹介されているといっても、まだまだ死を語る場がないと思われている方はいらっしゃると思います。そのような、本当に必要とされている方に届けるためにデスカフェがより社会に浸透していったらいいなと思いますね。
――最後にDeathCafeWeekを終えられてのコメントをいただきたいと思います。
吉川:今回のDeathCafeWeekには、目的の一つに「デスカフェを広める」ということがありました。それに関しては様々なメディアにも取り上げていただきましたし、主催者同士のネットワークも構築できたので、達成できたのではないかと思います。自分でもやってみたいと考えておられる方の後押しもできました。
オンライン特有のシステム的な不手際もありましたし、その他事務的な反省はあったものの、新たなデスカフェの形態としては成功したのではないかと思います。
今後は、対面とオンラインのハイブリッド型のデスカフェを行いたいと思っております。各地でデスカフェを開き、そのデスカフェ同士をオンラインでつなぐことで、コロナ禍後の社会に求められる形態のデスカフェができるのではないかと考えております。
デスカフェサミット Youtubeチャンネルが開設されています。
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――新たな可能性も見え、具体的な展望にも繋がったDeathCafeWeek。これからが楽しみです。吉川さん、ありがとうございました。
<編集後記>
昨今、新型感染症の影響で私たちを取り巻く環境は変わりつつあります。
それはデスカフェも例外ではありません。しかし、こんな状況だからこそ求める声があり、それに応えるためにもオンラインというかたちで開催されたDeathCafeWeek。
これまでもたびたび取り上げさせていただいたデスカフェですが、このDeathCafeWeekによって新たに様々な可能性が見えてきたのではないでしょうか。
この社会の変化の中で、死や病について改めて考えた方も多いのではないでしょうか。
その考えを誰かに話したい、他の人の話も聞いてみたい……そんな気持ちになったとき、「デスカフェ」を検索してみるのもいいかもしれませんね。