最期まで生ききるために死を語る│マザーリーフ デスカフェ<後編>
――DeathCafeWeek2020についてお伺いします。今回さまざまなデスカフェがオンライン上で一同に会しましたが、気付きはありましたか?
小平:「死」というたった一文字を軸に、これだけ幅広いテーマでデスカフェを開催できるんだということに面白さを感じました。
――DeathCafeWeek2020でマザーリーフはどのようなデスカフェを開催されたのでしょうか?
小平:昨今は自然災害が多いので、ゲストをお呼びして「漂流ポスト」*1についてお話していただきました。そこから死者への向き合い方などを皆さんと話しましたね。リアルな死の話だったと思います。参加者はグリーフを抱えている方やコロナ禍で親に会えない方がいらっしゃいました。暗い話から始まりましたが、暗いままで終わらないというのがデスカフェのすごいところだと思いましたね。
涙される方もいますが、想いを吐き出したことによって浄化されるんでしょうか……顔色が変わりますし、語ることですっきりした方向へ変わっていくのかもしれません。
――マザーリーフさんは「消化不良のまま終わらない」という目的のもと活動されているので、そういった雰囲気で終わることができるのかなと思いました。
小平:ただやっぱり、ご自身がご病気を抱えられている方や、今まさに死と向き合われている方が同じようにすっきりされるかは別の話です。そういった方にはすっきりするまで帰らせないということはしません。
――今回オンラインというかたちで行われましたが、どのような感触でしたか?
小平:やっぱりいろんなところにいる方が無理なく参加できるのがメリットだと思います。しかしデスカフェは、発するオーラや表情といったデリケートな情報を読み取ることで進行していくという側面もあるので、そこはオンラインでは難しいと感じました。
――オンライン特有のストレスもあるのかもしれませんね。そういったストレスから話したいことが話せなくなる場合もあるのでしょうか?
小平:オンラインだと他人が話しているときはミュートにするというルールもあるので、なかなか自分から話しにくいですね。
オンラインでやってみたことによって、改めて対面ではこんなにすごいことができていたんだと気づかされることが多くありました。話す気がなかったことを話そうと思わせる場って、普段生活していてなかなか出会えないのではないでしょうか。
オンラインと対面。いろいろチャレンジしながら考えていきたいです。
――最後に小平さんの死生観を聞かせてください。
小平:「塵から生まれた人間は塵になって終わる だからこそ生きている今を大事に」
私は、自分の人生をちゃんと生きているようで生きていないんじゃないかと思うことがあります。
自分はどこまでできて、どこまでできないのか。それを把握できて、なおかつそれに納得して死んで行けたらきっと「生ききった」と言えるんじゃないかと思っています。これはデスカフェを通して学びました。
――終活では、理想の最期として美しいデザインを求めがちですが、それができなかったら負けということはないんですね。小平さん、ありがとうございました。
*1漂流ポスト:岩手県陸前高田市にある、東日本大震災などで亡くなられた方に向けた手紙が寄せられるポスト。これを題材に映画化もされている。
<編集後記>
自分の最期を具体的に考え、「生ききる」ということは、そのときになって考えればいい、まだ大丈夫だと考えてしまいがちです。しかし、どこかに不安や焦りのようなものがある方もいるのではないでしょうか。
今回インタビューさせていただいた「マザーリーフ」は、別名「幸せの葉っぱ」という葉が由来になっているそうです。ここに来れば仲間ができて安心でき、幸せになれる。そんな想いが込められています。
さまざまな「死」を語るデスカフェでは、一人ではなくみんなで死を語り合います。そうすることで、自分なりの最期をきちんと考えられるのかもしれません。