【再掲】“聴く”伝道とは? —路上でグチを聴く「グチコレ」座談会—
“聴く”伝道〜仏の心を聞き、人の心を聴く〜
出張先によっては僧服でグチコレを行うことも
ーーこれからの伝道を論じるときに、“聴く”伝道が大切だといわれることがあります。グチを聴くということが伝道になりうるのでしょうか?
葛野:それに関連していえば、臨床宗教師(東日本大震災の支援を通して成立した、宗派を超えて宗教的ケアのできる宗教者のこと。2014年度から龍谷大学においても学修できるようになった)の現場では原則として伝道をしないことになっています。押しつけの伝道となってしまわないように。でも、自然とにじみ出てしまうものだとしたら、それは押しつけにはならない。真宗の伝道は本来そういうものかもしれませんね。グチコレの活動にもそういう要素があるのではないでしょうか?
高橋:グチコレでのグチ聴き、いわゆるグチコミュニケーションは、お互いに阿弥陀さまのお救いにあずかる凡夫であるという真宗的人間観にのっとった活動です。活動に触れた方が興味をもって、どうしてこういう活動をしているのですか、仏教ってなんですか、ともし聞いてくれれば、そのときはしっかりとみ教えの話をしてもいい。聞く気のない人よりも、相手が興味をもったときの方が伝わりやすいと思うんです。それに、本当にみ教えに生きているグチコレクターが来談者に寄り添って聴いていたら、教化意識をもって言葉を交わさなくてもお念仏の喜びが伝わることもあるのではないでしょうか?
葛野:そうですね。伝道の構造とは仏徳讃嘆ですから。お念仏の喜びが、表情なのか言葉なのかを通して、たしかに伝わっていくものだと思います。
京都タワー前では会社帰りの方がふと立ち寄ってくださることも
ーー浄土真宗のみ教えにおいては“聴く”ということがとても大切にされていますが、グチを“聴く”伝道とどのように関係しているのでしょうか?
葛野:“聴く”伝道というのは注意が必要な言葉ですね。信心やお聴聞と混同してしまいがちですから。人の話を聴かないと信心が得られない、などというように。
藤原:“聴”には聴聞の“聴”と傾聴の“聴”の二つがあるということですね。み教えを聞く”聴”と、目の前の方の悩みを“聴く”こと。グチコレの活動には両方の“きく”が含まれている気がします。
葛野:そうですね。グチコレはいわば、「仏の心を聞いた人が人の心を聴こうという活動。」だと思います。
高橋:身近でありながら、尊い感じがしますね。
葛野:在家仏教のおもしろいところでしょうね。世俗を超えているのだけど、世俗の中にいる。町や村の中にいるのだけど、どこか違う存在で、違う魅力を持っている。スキル以上にそこを磨くのが僧侶だと思います。
藤原:グチコレもそうありたいと思います。世俗の求めに応えながらも、み教えの芯をもった僧侶でありたいです。
ーー最後に、グチコレの今後の展望を教えてください。
藤原:今後は様々な施設やイベントに出張したり、講演活動なども増やしていきたいです。グチコレに興味がある方、体験してみたい方、各種イベントの出張グチコレ依頼等のお問い合わせは
までいただけたら幸いです。
※この記事は「伝道」82号 2014年9月1日の記事を一部修正し掲載したものです。
葛野 洋明(かどの・ひろあき)
龍谷大学大学院 実践真宗学研究科教授
浄土真宗本願寺派布教使
高橋 一仁(たかはし・かずひと)
浄土真宗本願寺派総合研究所 研究員
藤原 邦洋(ふじはら・くにひろ)
「グチコレ」初代代表
龍谷大学大学院 実践真宗学研究科修了
聞き手
加茂 順成(かも・じゅんじょう)
浄土真宗本願寺派総合研究所 研究員