「他人の悪いところにばかり、気がついてしまう」【みんなの人生僧談】
今日のテーマは「気付き」。いちど他人の悪いところに気がついてしまうと気になるものです。ひとつだけではなく、続けてふたつ、みっつと気がついてしまい、イライラしてしまうことも。こうした心の動きを、僧侶たちならどう考えるのでしょうか?
他人と一緒にいると、そのひとの言うことなすこと、悪いところにばかり気がついてイライラしてしまいます。かといってそのことを注意すれば角が立ってしまうし、どうしたら良いのでしょうか?
心当たりがあるな、こういう状態。気付いてしまったとたん、平常心ではいられなくなる。「気がついてしまったことを気にしない」っていうのは意外に難易度が高い。
気になることがあると、すぐに対応せずにはいられないのは、もう現代人のクセみたいなものですよね。気になったことを心にとどめておけないというか。悪いことばかりではないんですが、せっかちな「解決癖」を普段から作っている。
そうだね。少しでも心のゆとりが持てたら良いんだけど。もうひとつ問題なのは「他人の」悪いところにばかり気がついてしまうというところなのかも。自分に悪いところは無いんだろうか。
「他人の振り見て我が振り直せ」ですね。なぜそこを「悪い」と感じたのか。なぜ気にくわないのか。そうしたことを突き詰めると自分のあり方も問われることになりますよ。とはいえ、それこそだいぶ難易度が高くないですか?
だいぶ「しんどい」作業になるだろうね。いつだって我が身を省みるということはとても難しいし、同時につらいことだ。でも、これを「相手が悪い」だけで終わらせてしまうのは実にもったいない。
「なにかに気付く」というのは一種の能力ですもんね。僕が気付かないようなことを、誰かが気付いて教えてくれると、ありがたいなと思います。
そうだね。出来ればこの「気付く」能力を人生に有効活用したい。まずは冷静になって、今気付いたことが何を意味しているのかを一度考えるのが良いかもしれない。その上でどうしても相手に知らせなければならないことがあるなら、慎重に知らせるのが良いんじゃないかな。
いくら良いことを知らせても、相手に反感を抱かれたら受け取ってもらえないから、その人が受け取れるような状態になるまで待つ気の長さも必要かも知れませんね。
相手の悪いところに気がつくということは、その人はもっと素晴らしい人のはずだ、という期待の裏返しかも知れない。人に関心を持つということは素晴らしいことだから、その「気付く力」をもっと自分の人生と、周囲の人のために有効活用して欲しいと思うよ。
自分を見つめて、その上でどう生きていくかですね。僕も、もうちょっとしっかり自分のことを考えなきゃなぁ……。
僧侶たちの議論はまだまだ続きますが、ひとまずここまで。
以上、僧侶の部屋での座談会でした。何かのヒントになれば幸いです。
本日の僧侶プロフィール
サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気づき僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
家電僧侶
学生時代から6年間、家電量販店でアルバイトをしていた僧侶。家電業界と接客について理解がある。
「みんなの人生僧談」では、さまざまな経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。