お寺の子、「ジョビジョバ」になって僧侶になる|木下明水さんインタビュー<前編>
お寺の子、「ジョビジョバ」になって僧侶になる|木下明水さんインタビュー<前編>
(写真提供:木下さん)
「嬉しくもあれば堅苦しくもありました。もう少しのびのびやりたかったですね」
東京にある数々の劇場で動員記録を塗り替え、いまも活動を続けるコントグループ「ジョビジョバ」。そのメンバーの1人である木下 明水(きのした・めいすい)さんは、同時に浄土真宗本願寺派の僧侶として活動を続けています。
「お寺の子」として生まれ、その境遇の「堅苦しさ」に苦しんだという木下さん。前編となる本記事では、その生い立ちと、僧侶として生きる決心をするまでのいきさつを伺いました。
「お寺の子」としての幼少期
(写真提供:木下さん)
――木下さんはどんな子ども時代を過ごされましたか?
木下明水さん(以下:木下):熊本県にあるお寺に生まれたんですが、幼いころから後を継ぐように言われていまして。幼稚園のお楽しみ会でも「将来住職になりたい」って言わされたおぼえがあります。
ぼーっとした子どもで、学校の先生からも「とらえどころが無い」なんて言われていたようです。でも、その年頃から、なんで私だけ未来が決まっているんだろうな、という思いはありました。
――「お寺の子」としての振る舞いを求められていたんですね。
木下:「お寺の子」だから悪さも出来なくて。近所のひと皆が自分のことを知っていて、それが嬉しくもあれば堅苦しくもありました。もう少しのびのびやりたかったですね。
中高は受験して、お寺から離れたところに進学したんですよ。そこから結構好き勝手にやるようになりましたね。特に寮生活だった高校時代は、周りの人が色んな夢を大いに語っていたので、それに触発されて「自分もお寺を継がない方が良いんじゃないかな」と。母は「寮に入れたのは失敗だった」と言っていましたね。
――木下さんのお寺を出ようという思いはこのころに固まった、ということでしょうか。
木下:そうですね。「どうにかして出てやる」、そう思っていて、そのために東京の大学に行こうと考えていました。