当たり前を疑うために英語を学ぶ|大來尚順さんインタビュー<後編>

サムネイル写真(写真提供:大來さん)

 
英語なんて、ずっと日本で暮らすなら必要ない!
学生の頃にそう考えたことがある人も少なくないと思います。
なぜ外国語を学ぶのか。いつか必要になるからでしょうか?
外国語を学ぶことで、私たちが日常的に使っている言葉をより深く理解できるようになるのだとしたら。
 
前回に引き続き、翻訳家としても活動されている僧侶大來 尚順(おおぎ・しょうじゅん)さんにお話をうかがいます。
 

 

 
 

英語を学ぶことは当たり前を疑うことにつながる

 
――米国仏教大学院、ハーバード大学と、海外で仏教を学ばれてきた大來さんですが、仏教を日本語ではなく英語で理解することを通して新たな発見はありましたか?
 
大來尚順さん(以下:大來):英語で仏教を伝えようとすることで、自分の中の当たり前を疑うことができるようになったと思います。
私は英語を勉強するようになって、今まで当たり前のように使っていた仏教用語の意味を、きちんと理解できていなかったことに気付いたんです。実際に私がアメリカに行って最初にしたことは、英語で仏教の勉強をやり直すことでした。
 
また英語で仏教を考えることは、仏教用語や仏教思想を見直すことにもつながります。そのことで、仏教をより深く説明できるようになると思うんですよ。
 
例えば、「苦」。仏教で言う「苦」は英語だとunsatisfactory mind(不満足の心)になる。普段、私たちが使う「苦」とはニュアンスが異なりますよね。普段使っている意味と仏教での意味を分けて考え、理解が深まるのであれば、英訳はすごく大きな意味を持っていると私は考えます。翻訳を通して、今まで改まって考えたこともないような、言葉の成り立ちや意味、歴史背景にまで立ち返ることができるんです。
 
 

   

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掲載日: 2022.02.02

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