法話グランプリ出場僧侶が語る、聴くことの大切さ│舟川智也さんインタビュー<前編>

舟川智也さん(H1法話グランプリでの布教の様子)

 
――はじめに自己紹介をお願いできますでしょうか。
 
舟川智也さん(以下:舟川):九州大学で宗教学を、龍谷大学大学院で真宗学を学びました。そして、本願寺の伝道院で布教使の資格を取り、26歳で自坊に帰りました。35歳で住職を継職し、今年が9年目にあたります。
父が布教使だったため自然と布教使を志すようになりましたが、自坊のご門徒さんにきちんとご法義を伝える上でも、お寺の外に出て厳しい目線の中で研鑽を積んでいくことが大事なことと思っています。先代の頃から壮年会、若婦人会等の教化活動も盛んで、おかげさまで法座においても参詣者の多い、活発なお寺になっています。
 
 

夜中に電話が鳴るお寺への反発

 
――僧侶になったきっかけを教えてください。
 
舟川:お寺で生まれ育ったので、小学生の頃からお盆参りの手伝いをしていました。しかし、高校生頃には反発が強くなり、お寺を継ぐのが嫌でした。
ひとつは、夜中に電話が鳴っては臨終勤行に出て行く父の姿を見ていたので、僧侶は定休日はなく、自由がなくて大変だなと感じていました。また、まわりの友達がいろんな夢を持っている中で、勝手に進路を決められることへの反発もありました。
 
九州大学には宗教学の専攻があったため、宗教を学ぶという大義名分で宗門校以外の大学へ進学しました。表向きは宗教学という看板でしたが、実際に学んだのは文化人類学でした。文化人類学は足で稼ぐ学問です。現場で見聞きしたものを理論化していく、人の輪に飛び込んでいく学問なのです。それがいまの自分に活きていると思います。もちろんお聖教と向き合う時間も大切ですが、現場を意識しながら学ぶのが好きなので、ご門徒さんの輪に入っていって、一緒にご法義を味わっています。
 
高校は宗門校の敬愛高校だったのですが、お寺の子息が多い中、道を逸れたはずの私が一番はやくお寺に帰ってきました。ある意味、早熟だったと思っています。自分で腹を決めて帰ってくる、ということが大切だと思います。煮え切っていない人は、言い訳をしがちです。本当はやりたくなかったけど、仕方なく寺をやっているんだ、というように。でも自分でやると決めて帰ってきたからには、言い訳はできない。
だったら簡単なことではないですが、あとは自分の理想に向かって邁進するだけです。
 
 

舟川さんが僧侶として大切にしていること?

   

Author

 

他力本願ネット

人生100年時代の仏教ウェブメディア

「他力本願ネット」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)が運営するウェブメティアです。 私たちの生活の悩みや関心と仏教の知恵の接点となり、豊かな生き方のヒントが見つかる場所を目指しています。

≫もっと詳しく

≫トップページへ

≫公式Facebook

掲載日: 2023.01.30

アーカイブ