ちっぽけな自分に安心する?等身大で話す女性布教使のはなし│田坂亜紀子さんインタビュー
田坂亜紀子さん(写真提供:田坂さん)
ご門徒をはじめ、多くの人びとに仏教の教えを伝える「布教使」。
その活動範囲は広く、全国のお寺からホールまで、さまざまな方を対象に布教をするプロフェッショナルです。
この度のインタビューは、そんな布教使として長年ご活躍されている田坂亜紀子(たさか・あきこ)さん。子どもが聞いても大人が聞いても、どこかあたたかな気持ちになる田坂さんの法話。その背景には何があるのか、お聞きしました。
――簡単な自己紹介をお願いいたします。
田坂亜紀子さん(以下:田坂):山口県岩国市超専寺の田坂亜紀子と申します。お寺がある場所は田舎の山の中にあります。
私が幼い頃に父が亡くなり、それ以降は祖父がずっと住職をつとめていました。母は看護師をしていたので、当直勤務のある日はご門徒さんの家で面倒を見てもらうこともよくありましたね。そんな環境で育ってきたこともあり、地域全体の広い繋がりの中に自分が生きているような感覚がずっと残っています。
――僧侶として大切にされていることはありますか?
田坂:「べき」と言わないようにすることを意識しています。
浄土真宗は、私が正しいと思うものに本当に正しいことなんてないことを教えてくれる宗教だと思っています。私が思う「こうあるべきだ」という固定的な捉え方も、一般常識や世間の体裁というものさしでは正しく思えても、実は不完全なんです。
自分を信じないと言えば無責任とも捉えられるかもしれませんが、自分が不完全であることを知ったとき、あるいは自分が不完全でも良いと知ったとき、他人をゆるせるようになる気がしますし、社会という大きなコミュニティの中にある自分のちっぽけさに安心感を覚えられるんですよね。
――小さい頃から家族だけではない繋がりの中に身を置いていた生い立ちがあるからこそ実感としてその感覚があるんですね。例えばスポーツでも「べき」という考えを持つと、身体が動かなくなってしまうそうです。身体や心をほどいて、自分をその場所や環境に預けていくことでのびのびとパフォーマンスができるのかもしれませんね。
田坂:とはいえ、私たちは社会の中で生きていくほかありません。私たちは、たとえその社会が生きづらくても、浄土真宗という拠り所を持つことによって安心感や生きる方向性が与えられるのだと思います。そして、その拠り所によって「大丈夫」と思えると、また社会の中で頑張っていけるような気がするんです。