嫌なことも楽しいことも!受け止め方は「線」が大事│永田弘彰さんインタビュー<前編>
(写真提供:永田さん)
人生いろいろ。人もいろいろ。
お坊さんもいろいろ。
各地でお寺を盛り上げるために頑張るお坊さんですが、その活動はさまざまです。
今回インタビューさせていただいたのは、北海道の十勝地方にあるお寺、真浄寺(しんじょうじ)の永田弘彰(ながた・ひろあき)さん。僧侶でありながら、宗教科教員、漫才法話など多岐にわたるご活動をされています。前編にあたる今回は、永田さんが僧侶と”なられた”理由をお聞きしました。
――簡単な自己紹介をお願いいたします。
永田弘彰さん(以下:永田):北海道の真浄寺住職の永田弘彰と申します。お寺のある清水町は帯広市から車で30分程の場所にあり、乳業を中心とした一次産業が盛んな町です。十勝エリアの食料自給率は例年1300%以上です。これは人口の約13倍の生産能力があるということです。食事がすごく美味しく、グルメ旅でも定番の土地ですね。
農業収入が安定しており、家業を継ぐ人が多いので人口流出が少ないのも特徴でしょうか。少子高齢化は進んでいるものの、他都市へ転出する人は少ないので、過疎化はしていない印象です。
また真浄寺は開基120年程の歴史で、 80、90 歳代の方はお寺が建てられた当時のことや初代の住職のことをご存じなので、愛着を持っていただいているようにも感じます。
――浄土真宗の好きなところを教えてください。
永田:物事の捉え方をたくさん教えてくれるところです。
私の僧侶人生のスタートは父親の死でした。高校3年生の1月、仏教のことなんてまだ何も知らないときに父の死を間近で見て、ただただ「嫌だ」と感じましたね。
浄土真宗がなかったら父の死をどう受け止めていいかわかりませんでした。もちろん時間が解決してくれたかもしれません。でもやっぱり最初の頃はトラウマに近いものを感じていました。
父は末期がんで、医師からは余命一か月だと宣告されました。同時に、本人に余命を伝えるかどうかを聞かれ、家族は伝えることも考えていましたが、私は絶対に伝えないでくれと頼みました。
その頃、ちょうど末期がんの新薬が輸入されたので、私は副作用も覚悟したうえでその薬の投与も希望しました。結果、父は強い副作用に苦しみ続け、そのまま2週間ぐらいで亡くなりました。 私はとんでもないことをしてしまったと思いました。父の死を迎えたとき、私の中は怒りや悲しみ、負の感情でいっぱいでしたね。
――壮絶ですね……。
永田:その後の家族会議で、お寺は誰が継ぐのかという話になりました。実は、この年に祖父から父親に住職が引き継がれる予定だったんです。私の判断が父親を苦しめたという責任も感じていたので、当時目指していた教員やお笑いの道を諦め、その春から龍谷大学に進みました。
龍谷大学では、授業のたびに自分の価値観とは真逆のことを教わりましたね。「死は終わりじゃない」「阿弥陀さまは愚かな私こそ救わずにはおれない」というみ教えを聞いて、正直、最初はもうほっといてくれ、と思いました。しかしずっと浄土真宗のみ教えを聞き続けていて、根負けしたんです。あるとき「もうわかった、そこまで仰ってくださる阿弥陀さまに全部まかせる」と。
それからやっと父の人生に目を向けられるようになりました。蓋をしていた父との思い出を見つめ直して、父は遠くにいるのではなく一緒に歩んでくれていると思えるようになったんです。