「自然に、気軽に、そのままでお寺に来てください」|佐藤 アデマール 清利さんインタビュー<後編>
前回に引き続き、ブラジルの首都ブラジリアにある「ブラジリア本願寺」主管の佐藤アデマール清利さんをご紹介させていただきます。
後編では、佐藤さんと仏教との出会い、そして僧侶としての歩みをお聞きしました。
死刑台にまで連れて行かれた経験を持つ僧侶|佐藤アデマール清利さんインタビュー<前編>
花祭りの様子(お釈迦様のお誕生をお祝いする日、4月8日)
ーーお寺の門がたまたま開いていて、そこでであわれた僧侶との会話が仏教入門のきっかけだったのですね。
その僧侶は中林安成先生というお方でした。中林先生はポルトガル語が話せませんでした。そこで私が毎週お寺での法座で通訳をつとめるようになりました。また中林先生の話を通して仏教を勉強するようになりました。サンパウロにある仏教学院にも二年間通いました。
ーーそれまでの政治活動も続けてらっしゃったのでしょうか?
仏教に親しみながらも、政治を支える仕事は続けていました。ところが、今度は政治活動が忙しくなると同時に、人生に関する苦悩、疑問が沸いてきました。「これではいけない」という思いが出てきました。そこで当時南米開教区の井上博厚開教総長に今後どうすべきか相談をすると、先生は日本に行って得度(※1)をするよう勧められました。55歳の時でした。
そこで私は日本に行き、本願寺で得度をして僧侶になりました。僧侶になって帰国した私に対して先生は、「では『ブラジリア本願寺』の主管になりなさい」と言われました。とても驚きました。私は仏教を学びたくて僧侶になったのであって、主管になるつもりはまったくありませんでしたから。最初はどうしようか大変迷いました。
※1得度(とくど):僧侶となるための儀式。
ーーその後、井上先生のご指南もあって、ブラジリア本願寺の主管となられました。主管となられてから大変だったことはありますか。
主管になりたての頃は大変なことばかりでした。主管になって3日後にお葬式が入ったのをおぼえています。
それまで死者と接したことといえば、バイーアにいる間に亡くなりカトリックの儀式で埋葬された一人息子と弟、そしてブラジルとチリの軍事クーデターで亡くなった方や友人などでした。僧侶として葬儀にお参りしたことはありません。そこで、知り合いの僧侶たちに電話をかけて、どのようにすればいいか尋ねたのを覚えています。
そのこともあってか2006年に4O年一諸に暮らした妻のセシーが癌で8年間闘病した後、67歳で往生したときには、彼女の葬儀を行うための心づもりはできていました。
ーー主管としての生活を教えてください。
お寺での法要、文化活動の開催、あるいはお寺の外での講演などです。お寺では結婚式を執りおこないますし、お子様の誕生をお祝いする初参式(しょさんしき)もします。近所に子供が生まれたら、「仏様にご紹介しましょう」と言って初参式にお招きします。お寺での文化活動として、日本語、書道、生け花、合気道、柔道、太極拳、空手の教室をそれぞれ専門の先生をお招きして開催しています。お寺での言語は日本語とポルトガル語を使います。
1980年代に中林先生の前任であったムリロ・ヌーネス・アゼベード先生や今井慶哉先生のおかげでブラジリア本願寺とご縁をむすんでいたブラジル人住民が最近ではお寺に戻り始めています。
また、現在の私の妻マリア・クリスチーナ・サトウは日本語こそできませんが、得度しており、私を大いに助けてくれています。私は2005年に仕事を退職して開教使となって以来、ブラジリア本願寺のことに専念してきました。
ーーブラジリア本願寺は、お盆の時期にたいへんな賑わいをみせているとお聞きました。
8月には、毎週土曜日と日曜日の晩に盆踊りをしています。今年で42年目になります。焼きそばやうどんを販売し、そこでの収益がお寺の活動費用に充てられます。毎週1万人もの人がお寺に訪れます。それを1カ月続けます。昨年は日本大使館の大使も来られました。
ーー法要や文化活動に参加されるのは、お寺を支える門信徒の方々でしょうか。
メンバー(門信徒)の方やメンバー以外の方いろいろです。私が主管になった頃から日系人以外のメンバーが徐々に多くなってきました。その多くは日本語が理解できません。しかしその方たちは、日本文化に興味があったり、仏教に親しみたいという思いを持っておられます。そのような理由で、去年、ブラジリア本願寺の本堂は、首都の歴史文化財に指定されました。
大晦日の除夜の鐘つきに集まる人たち
ーーブラジルで仏教を伝えることは、難しいのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカはプロテスタントを背景としているのに対して、ブラジルはカトリックを背景としています。プロテスタントの教えは、意識の変革や意識の向上を求めます。ところが、カトリックでは「平等」や「超越」といった、「安心できる場所」を積極的に説きます。ですからカトリックを背景とするブラジルの土壌では、「浄土」や「阿弥陀如来」といった浄土真宗で用いられる言葉があまり抵抗なく受け入れられます。
ーー今後、どのような活動をして行きたいと思われますか。
すべての人々に浄土真宗のみ教えを伝えていきたいと思っています。このことは私に得度をすすめてくださった故井上博厚開教総長や私に刺激を与えてくれた中林先生、さらには日本から私を支えてくださる友人達より託された大きな願であると受け止めています。
私は、みなさんに、「自然に、気軽に、そのままでお寺に来てください」とよく言います。ブラジルのお寺では、来られた方とビールやお酒も飲みますし、たくさん会話をします。そうしたつながりを通して、人と人が関係性を紡いで行くことの大切さを説いています。それはまた社会の平和を作っていくことにつながっているように思います。
また、日系人というカテゴリーに捉われず、地域、近所の皆さんと親しくしていくことが、そのまま浄土真宗の開教につながっていくのではないかと思います。ブラジルのお寺では、先祖のお墓もありません。しかし、法然聖人、親鸞聖人、蓮如上人のみ教えは、今この現代そして世界中に通用する仏教だと思っています。
一方、現実を見たとき、お寺にたくさんの人が来るようにはなりましたが、仏教を拠りどころとして生活しているメンバーがまだまだ育っていないように思います。そういう意味では、主管として不十分であると感じています。
私もすでに73歳、私一人の力、はたらきでは、及ばないと自覚しております。だからこそ色々な方と手を取り合って進んでいけたらと思います。
http://international.hongwanji.or.jp
(ブラジリア本願寺をはじめ、海外の本願寺派のお寺の活動等を見ることができます)
ブラジリア本願寺ウェブサイト(ポルトガル語)
http://www.terrapuradf.org.br/