お仏壇の由来は?【仏事の疑問】

お仏壇の由来は?【仏事の疑問】

 

質問
仏壇の歴史について教えて下さい。

 

 

「仏壇」とは

 
「仏壇」というと、家の中に置かれた厨子(ずし)型の仏壇が一般的にはイメージされます。ただ、文字どおりの意味は、「仏の基壇(きだん)」であり、元々は仏像等が安置される石・木・土等で造られた台を意味していました。本堂の荘厳(荘厳)では、仏像が須弥壇(しゅみだん)の上に安置されていることが多いと思いますが、この須弥壇も仏壇の一形態です。
ちなみに須弥壇は、須弥山(しゅみせん・インドの宇宙観で、世界の中心にそびえる山)を模したものです。仏の座所を須弥山とするのは、その教えが世界に遍(あまね)く行き渡ることが象徴されているのでしょうか。
さて、以下では、家の中に置かれる一般的な意味の「仏壇」について、その由来と歴史をたずねてみましょう。
 

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仏壇の源流

 
信仰が人々の生活に浸透していく過程で、信仰の場が生活の中に入ってくるのは、自然なことと言えるでしょう。
日本でも仏教伝来(六世紀半ば頃)の直後から、信仰と生活の近接する現象が見られます。例えば『日本書紀(にほんしょき)』天武天皇(てんむてんのう)十四年(六八五)の条には「諸国に家毎に仏舎を作りて、乃ち仏像及び経を置きて、礼拝供養(らいはいくよう)せよ」とありますし、聖徳太子(しょうとくたいし)も念持仏(ねんじぶつ・個人的に所有し礼拝の対象とした仏像)を持ち、礼拝の対象としていたようです。
 
なお、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が参籠(さんろう)された六角堂に(ろっかくどう)は、聖徳太子の念持仏と伝えられる五センチほどの小型の仏像(如意輪観世音菩薩・にょいりんかんぜおんぼさつ)が、現在も本尊として安置されています。また、法隆寺(ほうりゅうじ)には、光明皇后(こうみょうこうごう・聖武天皇の后)の母、橘夫人(たちばなふじん・一七三三)の念持仏(弥陀三尊像・みださんそんぞう)を本尊とする厨子が所蔵されています。
これら念持仏や厨子に象徴されるような、信仰が生活に密着していく現象の延長線上に、仏壇を家に置くという習慣が生れてきたと見ることができるでしょう。
 

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持仏堂の歴史

 
仏壇の起源が直接何に由来するかは明確でありませんが、持仏堂(じぶつどう)に由来するという説と、盆棚(ぼんだな)が常設されたものであるとする説が有カです。ここでは、持仏堂について見てみましょう。
平城京(へいじょうきょう)から平安京(へいあんきょう)への遷都(せんと)には、強力になりすぎた寺社勢力を抑制する目的がありました。そのため、平安京の内側には当初、ニつの官寺(東寺・西寺) 以外の寺院建設は許されませんでした。
 
しかし、平安時代中期から、次第に貴族の間に浄土信仰を中心とした熱烈な仏教信仰が広まります。寺院建築が制限されていたので、貴族たちは邸内に、仏像を安罹し礼拝するスペース─持仏堂─を競って設けました。ただし、邸内と言っても、例えば後白河法皇(ごしらかわほうおう・一―二七 ─ 一―九二)が六条殿(ろくじょうどの)に建立した持仏堂(長講堂・ちょうこうどう)には僧房(そうぼう)が付設されていたように、大規模なものが多く、後に独立して寺院となっていくものも数多くありました。この持仏堂を設ける伝統は後世にも継承され、貴族だけでなく、源頼朝(みなもとのよりとも・一一四七 ─ 一一九九)をはじめとする有力武士等によっても持仏堂は建立されていくことになります。『徒然草(つれつれぐさ)』(十四世紀)の「賤(いや)しげなる物……持仏堂に仏の多き」という記述からも、持仏堂が一般化していった跡を見ることができるでしょう。
 
さて、江戸時代の資料を見ると、一般家庭に置かれる仏壇を「持仏堂」と称している例が多くあります。
このことから、貰族や武士などの有力者によって建てられた持仏堂を、仏壇の起源の一つと見ることができます。しかし、先程も触れたように、持仏堂はかなり大規模なものが多く、一般家庭に普及する仏壇の直接の起源とは言いにくい面もあります。
 

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仏壇の普及

 
仏壇は江戸時代に急速に普及します。幕府はキリスト教の禁制に関連して、寺請(てらうけ)制度を導入します。まず、各家庭がいずれかの寺の檀家(だんか)となることを命じ、更には、各家に「持仏などをかまえ」る、すなわち仏壇を設置することを奨励していきます。ここにおいて、仏壇が一般家庭に広く普及していきます。
 
こうした状況と歩調を合せるように、仏壇製作の技術が広まります。寺院建築の技法を基礎とする仏壇製作の技術は、仏壇需要の拡大にともなって各地に移転し、色んな地方に製造産地が誕生します。産地の広がりは、漆(うるし)・金箔(きんぱく)・金細工などの伝統工芸の伝播(でんぱ)に寄与し、現在も、各地の優れた工芸文化が、仏壇製作によって支えられている側面があります。
 

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浄土真宗の道場と仏壇

 
浄土真宗では、庶民を中心とする信仰の形態が、早い時期から生れます。特に蓮如上人(れんにょしょうにん)の時代には、念仏を喜ぶ人々が集まる道場が、続々と設けられました。道場は、新たに堂宇(どうう)を建築する場合もありましたが、信者の家の一室に名号(みょうごう)を懸け、三具足(みつぐそく)等の仏具を置いて礼拝の場とする場合も多くありました。
 
こうした道場は、個人の所有物ではありませんでしたが、寺請制度以前に始まっており、一般家庭の中に礼拝の場が設けられることの先駆と言えます。この真宗門徒(もんと)の道場は、荘厳の形式などにおいて、後の仏壇文化に少なからず影響を与えたようです。
 

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浄土真宗と仏壇

 
仏壇の起源を盆棚とする説があるように、仏壇は祖先崇拝の影響を受けながら発展してきた面があります。
位牌(いはい)だけを入れたものも「仏壇」と呼ばれることがあり、祖先を祀(まつ)るものという意識が、一般には根強いようです。こうした仏壇に対する意識は、真宗の本来的な信仰とは相容(あいい)れない面を持っています。
 
真宗の信仰は、あくまでもご本尊である阿弥陀如来を中心としています。身近な人の死がご縁で仏壇に向かうようになった場合でも、自己や身近なものに束縛され、悲歎(ひたん)にくれるほかはない私に、いま阿弥陀如来の限りない救いが届いていることを喜んでいくのが、私たち真宗者の信仰の姿であります。
 
念仏は生活の外側にあるものではありません。仏壇を一つのよりどころとして、長い時間をかけて育(はぐく)まれ、伝承されてきた念仏の薫る生活を、今後も大切に受け継いでいきたいものであります。
 
教学伝道研究センター常任研究員(現 浄土真宗本願寺派総合研究所 副所長)
藤丸智雄
 
写真はイメージです

掲載日: 2021.06.03