「なぜ葬儀に宗教家が必要か。「寄り添う」から「導く」へ。(後編)」小林弘和さん(「お寺でおみおくり」一般社団法人日本寺葬(てらそう)協会 代表理事)インタビュー<後編>
お通夜の様子(写真提供:「お寺でおみおくり」)
前編に引き続き、寺院葬のパイオニアとして「お寺でおみおくり」を展開する小林弘和さんに、葬儀やお墓の意義についておうかがいします。
葬儀は誰のためのものか?寄り添うだけでよいのか?
――そもそも、葬儀はなぜ必要なのでしょうか?
小林:葬儀は、いま生きている人のために必要なのではないでしょうか。葬儀を通じて、故人が遺してくれたものに気付かされます。こんなに多くの参列者に慕われていたのかと、故人の意外な側面を知ることもあります。親がいたからこそ、自分がいるということに、あらためて気付きます。私の葬儀のときには、盛大に送ってもらいたいですね。ご縁があった方々に生かされてきたわけですから、きちんとお別れがしたいです。これまで出会った多くの方に送っていただきたいと思っています。
また、葬儀には遺族に対するグリーフケアの効果もあります。宗教的空間の中でグリーフケアが活性化するのです。大切な方を自死で亡くされるなど、言い表せない、どうにもならない気持ちを抱えておられる場合があります。そのような時にはご住職がご遺族の感情を遮ることなくお聞きして、少し落ち着かれてから、お通夜、葬儀について話し合っていかれます。寺院葬は一般的な葬儀とは異なり、段取りや流れを重視するのではなく、ご遺族の背景に応じてカスタマイズした葬儀をご準備します。
ご利用いただいた方からは「温かく豊かな気持ちで見送ることができました。自分の心が浄化されていくのを感じました。疲れが残った、今までに経験した葬儀はいったい何だったのだろう(「お寺でおみおくり」アンケートより抜粋)」というお声をいただいたこともあります。「寄り添う」だけでは、ご遺族のためにならないと思います。「寄り添う」を超えて、これからどう生きていくかについて導いていく。生きていく糧を授ける宗教家は葬儀に欠かせない存在です。
私も母を見送りましたが、遺された者は、死というどうにもならないものを受け入れて、その先を生きていかねばなりません。これからも生きていこう、生きていけると思えるようになるには、宗教家の導きが必要だと思います。
出棺の様子(写真提供:「お寺でおみおくり」)