縁起でもない話をしませんか?ー地域と繋がる、鹿児島県 井上 從昭住職の取り組み
重たい話だけど、なごやかに。
「縁起でもない話をしよう会」の様子
ーー「縁起でもない話をしよう会」には、どういった方が来られるのでしょうか?ご門徒の方がたが中心でしょうか?
井上:ご門徒の方に限らず、いろんな方が来られます。夜の時間に開催をしていましたので、年齢層は40代〜50代と比較的若めです。男女比は半々くらいでしょうか。
告知もご門徒の方に限らず、 Facebookなどで告知して、広くご興味のある方においでいただくようにしています。
ーーご高齢の方はあまり来られないのでしょうか?
井上:夜の時間に開催していましたので、高齢の方には少し危ないと思い、また別の機会をご案内していました。なので、参加者は比較的若めで、話題提供者の同僚や同業の専門職の方が多かったですね。
ーー当日の場はどんな雰囲気に包まれているのでしょうか?
井上:当初は多くの人が興味をお持ちだろうからという理由で、医療の話題をドクターに提供していただきました。最初の4回が医療、その後は弁護士やがん患者さんにもお越しいただきました。
話題としては、非常に重たいテーマを取り扱っているんですが、語り合いを通して皆さんの思いを聞き合ううちに、どんよりとした重さではなくて、「みんなでしっかり語れたね」、「自分なりに思いを表現できたね」といった、和やかな雰囲気に包まれます。
なので、カジュアルなという表現が正しいかは分かりませんが、「縁起でもない話」からイメージされているほど暗い感じではないですよ。
ーー「重たい話題」とおっしゃられましたが、具体的にどういった話題なのでしょうか?
井上:1回目から3回目は概ね「死」、「亡くなる」ことがメインテーマでした。4回目も「自分自身の人生」でした。いずれもドクターが話題提供されたのですが、決して明るい話ではないですよね。
ーー確かに、重たい話ですね。こうした話題だと、語り合いが詰まってしまうようなことはないのでしょうか?
井上:言葉が出てこないという方はいらっしゃらなかったですね。確かに重たい話ではありますが、アイスブレイクを取り入れたり、いきなりグループトークへと転換したりしないといった、語りやすい進行や雰囲気づくりを心がけています。
また、「では、今日はこういうテーマで語ってみてください」と話題提供者が話を振ってくれますし、前半で聞いた話を振り返りながらお話しができるので、言葉が詰まるようなことはないです。むしろ、ずっと喋り続けて持ち時間を超えてしまう方のほうが多いです。あまりに話が長すぎて、制止することもありました(笑)。
ーー語ることが楽しいと思っておられる証拠ですね。
井上:そうですね。他の方の話に触発されて、すごく語りたい気持ちになられるといいますか、これまで他人事であったものが我が事へと変わった時に、まるで自分に問いかけるようにお話しされる方が多かったです。
「縁起でもない話」をしてみた気づきとは
ーー40代〜50代の方が多いのはどうしてだと思われますか?
井上:話題提供者の同僚の方々のご参加が多いということもありますが、一般の方々も40代から50代の世代が、親を看取る世代であり、親の命の終え方に迷ってしまう世代でもあるからだと思います。所属寺ではかつて終活の勉強会も行いましたが、その時に親の死を語ることに直面するんですね。自身の親に「どういう風に人生を終えようと思っているの?」といった話をするかどうか迷っているんですよね。
ーーなぜ迷うのでしょうか?
井上:きっかけが無くて切り出しにくいんだと思います。なぜかというと、親とそうした話をしようとすると「縁起でもない話をするんじゃない」と怒られるからです。
そういう世代の方々が何かのきっかけになればということで、来られていた方もおられました。そして、この会に参加したことをきっかけに、改めてお母さんと話し合って、うまくいったこともあるようです。
ーーやっぱり、面と向かっては話しづらいものですからね。
井上:そうですね。やっぱりどっちも遠慮があって、知らず知らずの間に見えない壁ができてしまうんだと思います。ですが、それを一度乗り越えてしまうと親子の中で話しやすくなるんですよね。意外とできてしまったといいますか。
ーーお互いに必要だという認識はある、ということですね。
井上:きっと、どこかで遠慮しているんでしょうね。「死ぬのを待ってるのか!」と怒られたらどうしよう、と抵抗があったけれども、改めて親子でしっかりと向き合うきっかけや後ろ盾として、「縁起でもない話をしよう会」が活かされているんだと思います。
特にご年配の方であれば、「お寺でこんな勉強したんだよ」と切り込むと、すんなり話ができることもあるようです。なので、ミドルエイジの方々に経験していただくと親の世代とその壁がなくなって話ができるのかな?というのがやってみての結果でした。
<編集後記>
死や病気の話は「縁起でもない話」として避けられがちであるがゆえに、改めて話し合うにも勇気が要ります。しかし、多くの方がどこかで話し合う必要があると思っている話題でもあるはずです。「縁起でもない話をしよう会」での、「語り始めると止まらなくなる」、「きっかけがあればすんなりと話し合える」という現実は、そういった思いが背景にあるのかもしれません。
「縁起でもない話をしよう会」は、鹿児島のみならず、北九州や大阪でも展開されています。インタビュー後編では、地域の見守りや全国展開、そして「縁起でもない話をしよう会」のはじめ方といった、今後の可能性についてお話しいただきました。
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地域へ、離島へ、都市へ!縁起でもない話から広がる可能性とは?
<関連リンク>
・「縁起でもない話をしよう会」公式webサイト
・「縁起でもない話をしよう会」公式YouTubeチャンネル(寺猫ちょびちゃんねる)
・妙行寺公式webサイト