「ネットゼロ」に向かう世界と日本|地球環境戦略研究機関インタビュー①後編
人類がほぼはじめて体験することになる、地球規模の大問題である気候変動問題。
気候変動問題に対する国際的な専門機関であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、これを解決するためには人類の活動によるCO2の排出量を減らし、最終的にこの排出量が地球環境のCO2の吸収量と釣り合う「ネットゼロ」を実現する必要があるとしています。
世界は、そして日本はこれに向けてどのように動き始めているのでしょうか?
その動向と背景について、『1.5℃ライフスタイル ― 脱炭素型の暮らしを実現する選択肢 ―』を発表した「公益財団法人地球環境戦略研究機関」通称IGES(アイジェス)の小嶋公史(こじま・さとし)さん、渡部厚志(わたべ・あつし)さん、そして杉原理恵(すぎはら・りえ)さんよりお話を伺いました。
■「ネットゼロ」に向けて動き始めた世界
――世界気象機関(WMO)の発表によれば、2021年1月の時点で産業革命以来、世界の平均気温は1.2℃ほど上昇しているとされています。こうした気候変動問題に対して、世界ではどのような動向があるのでしょうか。
小嶋公史さん(以下、小嶋):ここ2、3年での大きな流れは、2018年に発表されたIPCCの『1.5℃特別報告書』によって1.5℃目標の必要性が広く認識されるようになったことですね。それまでは「産業革命以前からの気温上昇を2℃以下に抑えよう」と言っていましたが、この報告書以降「もう2℃では足りない。1.5℃までだ」ということになったのです。
実はその2℃という目標も、「まず無理だろう」と言われる事が多いものでした。ですが、この『1.5℃特別報告書』以降、各国の政治家や実業家がかなり真剣に「難しいけれど、1.5℃を目標にしないと大変なことになる」と危機感を持って行動を始めています。
その背景には異常気象の頻発や、それに対する科学的知見の積み重ねがあるでしょう。そうしたこともあって世界の人々の意識もずいぶん変わってきましたし、国際政治もそれを受けて2050年を目処とした「ネットゼロ」、つまり「CO2の排出量を地球環境の吸収量と釣り合うようにする」ことを実現するための取り組みを始めました。
ヨーロッパ諸国がネットゼロを宣言し、様々な取り組みを発表する中で、日本も2020年になってようやくネットゼロを目指すことを宣言しました。アメリカ合衆国はトランプ政権下でも州や企業レベルでネットゼロへの取り組みが盛んだったのですが、バイデン政権になってから連邦レベルでもこうした動きがいよいよ本格的になっています。
■民間からのアクション
杉原理恵さん(以下、杉原):気候変動問題に対するアクションは、国が主体ではあるものの、民間や一般市民の側からも行動を求める声が自主的に上がっているのは非常に興味深い動きです。
例えば、アメリカ合衆国ではトランプ政権の下でGoogleやAppleなど多くの企業が「脱炭素戦略を進めて欲しい、パリ協定に復帰して欲しい」と訴えました。スウェーデンでは飛行機の環境負荷が高いことを国民が認識していて、2019年に前年から1割ほど航空需要が減っていたという話もあります。オランダではKLMオランダ航空が「Fly Responsibly(責任ある飛行)」計画のもと「未来のために鉄道を使おう」という、自社の利益に反する呼びかけをしています。日本でもニュースなどでグレタさんの訴えや、日本の学生がストライキなどを行なっている様子が報道されて話題になりました。
■途上国の変化
渡部厚志さん(以下、渡部):以前、インドネシアの気候変動対策の政策支援に関わる仕事をしました。当時、途上国や新興国で気候変動問題対策というと、「CO2をいくら減らすか」という遠いどこかのためのものではなく、「すでに農業や漁業などに出始めている被害を何とかする」という現実の問題への対応でした。
――気候変動問題が、もう未来ではなく、切実な現在の問題としてあったんですね。
渡部:ここ10年ほど、こうした国々の農業漁業林業を守るため、国際社会からの支援が手厚くなってきています。まだ全く足りないのですが、それでもこうした支援の輪が広がるのは大きな発展だと思います。
また近年、こうした「支援を受ける側」であり、「CO2を減らすよりも農業や漁業を守ることを重視していた」ような国が急激な経済発展を遂げ、今ではむしろ多くの先進国と同等か、場合によってはそれ以上のCO2を排出する国になるというようなことも起きています。
しかし同時に、こうした途上国であった国のほうが、気候変動問題に関する野心的な対策や新しい技術、ビジネスなどが広がり、ヨーロッパや日本がそれを後追いするといった事も起きています。こうした途上国、新興国の変化の速さは印象的です。
――世界は官民を問わず、本気でネットゼロに向けて取り組み始めているんですね。また電話などのインフラ技術でも、後発の国の方が最新の設備導入が早く、大きく進歩するというようなことがありましたが、そういった状況が気候変動問題対策でも起きている、ということですね。
■ヨーロッパと東アジアの目標設定文化の差
――日本の気候変動問題対策は慎重なところがあるという見方もできます。
渡部:よく言われることかもしれませんが、日本政府が公式に掲げているCO2削減目標は、ヨーロッパ諸国に比べると必ずしも数字の上で高くはありません。その点では確かにおっしゃる通りかと思います。
一方で、この背景には、社会の仕組みを変えていくことや、新しい技術を取り入れていくことに対する姿勢の違いがあるんじゃないかと思うところがあります。
例えば、ヨーロッパや中南米の方はまず高い目標を掲げておいて、「後で状況がわかってきて、もし無理そうだと思ったら見直していけばいい」といった楽観的で柔軟な面があります。逆に、日本や韓国のような東アジアには「掲げてしまった目標は是が非でも達成しなければ」といった雰囲気があります。だからこそかえって達成可能な、言い換えればやや慎重な目標になってしまう面もあるのかもしれません。
■再生可能エネルギー導入の政治的な背景
小嶋:日本では、化石燃料や原子力など既存の産業や技術を守ることを重視したエネルギー政策が、ネットゼロへの取り組みを妨げているように思います。
かなり以前から日本でも再生可能エネルギーを大々的に採用すれば、雇用や地方創生など様々な面でメリットが大きいことは各方面から言われてきました。化石燃料の輸入によって、かなりの金額が外国に流出しているのも理由のひとつです。
再生可能エネルギーを導入する事で、国外への出費を抑え、国内にその資金を回すことができ、ネットゼロも目指せて、良いことばかりだと言われていますが、これまで企業も政府も、あまり再生可能エネルギーの導入に積極的ではありませんでした。そうした姿勢が日本全体の気候変動問題対策に関する野心度をどうしても上げられない大きな要因になっていたように思います。
再生可能エネルギーを大々的に導入して、抜本的な改革を行ってこなかったために、どうしてもCO2削減に対して大胆な目標を設定できず、企業の自主努力で効率を上げましょうというような、民間頼みの小さな対策に終始してしまいました。
渡部:ドイツやデンマークのような、ネットゼロへ向けた再生可能エネルギー導入が非常に進んでいる国でも、政権が交代すると方針が変わってしまうといったことは何度も繰り返されています。
それでも、日本などに比べると再生可能エネルギーの導入が進んできた理由のひとつとして、地方政府などの力があります。例えばイギリスでは、スコットランドやウェールズのような地方が、再生可能エネルギーの導入に積極的です。
風力や太陽光といった再生可能エネルギーであれば、地域でコントロールすることができます。そのため、経済的にある程度独立できるわけです。さらに、経済的に首都圏に依存してしまっている地方が、再生可能エネルギーの導入を強力に進めてきました。それによって結果的に中央政府も動かざるをえなくなったような面があります。
日本では地方からの動きは比較的穏やかですし、エネルギーに限らず様々な分野が国の支援を前提に成り立っているところがあります。
杉原:日本は、技術立国との自負もあってか、自分たちの生活や価値観、社会のあり方を変えるよりも、技術によって自然や危機を克服しようという価値観があり、そのことが日本のネットゼロへ向けた議論にも表れている印象です。
ただ、先ほどの渡部の話にもありましたが、日本にもネットゼロ宣言をしている自治体が大変増えています。このような流れがどんどん進んでいくことで、エネルギーを含めた経済や社会のあり方を変えていく契機になるかもしれません。
台湾新北市エネルギー転換会議招待講演の様子
<編集後記>
IPCCの『1.5℃特別報告書』以降、多くの国家や組織が気候変動問題の解決、つまりCO2の排出量を地球環境の吸収量と釣り合う量にする「ネットゼロ」に向けて動き始めています。ですが、文化や民族、経済など、様々な要因が複雑に絡まり合い、その歩みは決して一様ではありません。それでも、この問題を解決しない限り、多くの命がその生存を脅かされることになります。
できることから、確実に始めていかなければなりません。
私たち人類は、地球と、そして多くの命と共に生きていくことができるのでしょうか?
1994年よりコンサルティング技師として政府開発援助プロジェクトに従事。英国ヨーク大学環境学部で博士号取得後、2005年より現職。主に東アジア地域の持続可能な開発に関する定量的政策分析に従事。専門は環境経済学、環境・開発政策評価。
福島原発事故後の生活再建に関する調査等に従事した後、国連持続可能な消費と生産10年計画枠組み「持続可能なライフスタイル及び教育プログラム」の運営を担当。安全・安心で持続可能な生活環境の構築を目指すコミュニティや都市の活動を支援する。
2018年より現職。環境・持続可能性に関する情報発信に従事。小嶋、渡部とともに、私たちの日常生活が気候変動に与える影響や持続可能な未来のためにできる行動を示した児童向け書籍『はかって、へらそうCO2 1.5℃大作戦』(さ・え・ら書房)を監修した。