持続可能な環境を実現するまちづくり④ 寺院を中心としたまちづくり<後編>
持続可能な環境を実現するまちづくり④
寺院を中心としたまちづくり〈後編〉
持続可能な環境を実現するまちづくり、前回までは「環境保全やまちづくりにおける共同体の必要性」について論じましたが、今回は事例報告を交え、寺院を中心とした新しい共同体づくりについて考えてみます。
■ 「沖島まちづくり」プロジェクトの3年間の評価
3年間の振り返りとして、ご住職や坊守さんへのヒアリングから、予想以上に寺院・僧侶の有用性が明らかになりました。コメントの一部を紹介します。
●例えば、漁師など同業どうしは本音で語ることがむずかしかったが、寺院・僧侶があいだに入ることで、まちづくりに参加しやすい環境が整った(これまで消極的だった島の重役の方たちも参加するようになり、大学、行政、企業や、島外に住む島出身者等の協力者が増えた)。
●本プロジェクト以前の島民は、イベント続きで疲れたり、まちづくりの方向性に悩んだりしていたが、お寺を中心にじっくりと「持続可能なまちづくり」を話し合うことで、島民の思いの共有と合意形成が進み、ほどよいコミュニティが形成された。
など。寺院・僧侶の人と人をつなぐ力が、地域内外の関係性を豊かにし、まちづくりや環境問題解決に寄与することが確認できた社会貢献事例となっています。
■ 持続可能なまちづくり
沖島のまちづくりはまだはじまったばかりです。はたしてゴールはいつやってくるのでしょうか。そもそも、まちづくりにゴールはありません。それでも、新しい共同体が整い、自然環境や社会環境の持続可能性がみえてくれば、折り返し点は過ぎているといえるでしょう。いずれにしても、まちづくりは長い取り組みになります。途中、いろいろなことが原因で挫折しそうになる時が何度も訪れます。楽しくやっていたはずのまちづくりが突然、辛くなったりします。そんなとき、私がまちづくりをするために大切にしていることがあります。
それは「無理しない、諦めない、嘘をつかない」(嘘をつかなくて済むように行う)ということです。
無理せず、自分にできることで働き(動き)つづけていれば、必ず実りを手にすることができるでしょう。私は15年にわたる自然農の経験から、そのことを確信しています。
自然界はすべてにおいて足りています。私は自然農という営みの中で「耕さなくていい、農薬や肥料を使わなくていい、他の植物や虫たちなどを敵と見なさなくていい、なにも持ち出さなくていい、なにも持ち込まなくていい」ということをひとつひとつ理解し、納得してきました。ですから、たとえば作物がうまく育たなかったとしても自然の側に問題があるのではなく、自分の側に何か問題があったのだろうと考えますし、台風や大雨による被害が出ても静かにそれを受け入れることができます。 作物によってはほとんど実りを得ることができなくても、その翌年には豊作だということもよくあります。また、そういった影響の少ない作物もありますし、翌年の分まで備蓄しておけるようなものもあります。
毎年、少しずつ自然への理解が深まりますが、それでもなお、ほとんどのことを知らない無知な私がそこにいます。自然を推し量ることはできません。
それでもただひとついえるのは、問題を自然に押しつけることなく、無理をせず、それでも自分のできることを真摯に働いていれば、必ず実りはやってくる、
という事実です。
まちづくりも同じです。無理をする必要はありませんし、特別に変わったことをする必要もありません。うまく進まないことがあっても、その原因を外に押しつけることなく、自分の中にある問題と向き合い、ひたすらに自分ができることを続けていけば、まわりとつながり、働けば必ず恵みがやってくる持続可能な社会へと変わっていくでしょう。