お寺で死について語る【前半】
10月20日、京都市の浄土真宗本願寺派明覺寺で、死についてカジュアルに語るDeathカフェが開催されました。「音楽」をテーマに、34名の方が死について考え、語り合いました。一体どんな内容だったのか、少しご紹介させていただきたいと思います。
あなたには、人生の最期に聴きたい音楽がありますか?
死が近づいてもなお、人間の最期まで残る感覚、それは聴覚。何も話せず、目を開ける気力さえ残っていない無反応の状態でも、耳だけは聞こえているといわれているそうです。
米国認定音楽療法士の著者がアメリカのホスピスで1200人以上の患者さんを看取ってきたエピソードが綴られた一冊、佐藤由美子著『ラスト・ソング』。
著書のなかで、認知症が進行して我が子の名前すらわからなくなった人が、昔聞いた音楽をきっかけに記憶を取り戻すことが紹介されています。また、末期の患者さんにおいて「自分の人生を振り返ること」は大切な作業だとも。
今回は『ラスト・ソング』に登場する曲やエピソードを手がかりに、私たち一人ひとりの「死」や「生」について思いを巡らす。そんなひとときを過ごせたらと思っています。
[ルール]
(1)結論を出す場ではありません。お互いの思いや考え方を大切にします。
(2)身内や大切な人を失った方のカウンセリングが目的ではありません。
(3)お茶や食事を楽しみながら語り合いましょう。
(Deathカフェ告知文より)
当日は、死にまつわる音楽を聞くことや、その音楽が作られた背景を知ることによって、私たちの日常の中に、当たり前に「死」があること、しかしそれに気づかない自分たちに気づくような時間を持ちました。さらに、今、自分たちが、大切におもっていることを紙に書き出し、その一つ一つを手放して行かなければならないことを想像し、最後に残したい大切なものとは一体なんなのかを考える時間、死や生について思いをめぐらす時間となりました。
もともと、このDeathカフェは、特定の宗派にこだわらず、若手僧侶が仏教の教えにもとづく様々な活動を産み出し育んでいくことを目指し活動を展開するワカゾーが、スイス発祥のDeathcafeの存在を知ったことをきっかけに、2年前から京都を中心に活動をスタートしたそうです。また、今回の「音楽」をテーマとしたDeathカフェは、龍谷大学大学院実践真宗学研究科有志の学生さんの協力を得て実施されたとのことです。
この日の為に、何度も打ち合わせを重ねた学生さんたちに、この会の目的を尋ねると「死を考えることを通じて、普段はなかなか考えない、自分を支えてくれている存在に気づくきっかけになるような時間になればと思っています。」と教えてくれました。
後半の記事では、実際参加された方々の声をご紹介していきたいと思います。
◆Deathcafeとは?
元々はスイス発祥の死についてカジュアルな雰囲気で語りあうもの。現在、日本でも北海道、東京、名古屋など様々な場所で開催されている。京都では、浄土真宗の若手僧侶のグループワカゾーが2年ほど前から寺院で開催。ワカゾー主催のDeathカフェについて、詳しくは…
https://www.facebook.com/deathcafe.wakazo/?fref=ts
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