「心の余白をつくっていく」それぞれの立場でのアプローチを考える、介護の事例検討

常識のカベ
(第1回の様子)
 
「老いの価値を考える」をテーマで討論を行う「常識のカベ」。
その第4回が9月2日に実施されました。これまでの常識のカベでは、そもそも老いと何か?ということや、高齢者支援の現場の声から、議論が発展していきました。「迷惑ってかけてはいけないものですか?『現場の声』から老いをみる<前編><後編>
今回の会では、どのような議論がされたのでしょうか?当日の様子をレポートします。
読売新聞の医療・健康・介護サイトで連載されている「老いをどこで」第1部の「かなわぬ思い(上)『在宅』の現実 介護者苦悩」という、実際に東京で認知症の母親を介護されている息子さんにインタビューされた記事を参加者で読み、そこから考えられる対応や、僧侶として、介護者として一体、何ができるのか?ということを事例検討会として実施しました。
「家での暮らし」をテーマに、家で介護することの理想と現実の狭間で悩む人たちについて書かれている。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180501-OYTET50031/
 
参加者男性は、
「息子さんは、自分一人でお母さんの介護をすると、頑張っておられるように思う。しかし、これまでの常識のカベの会ででた意見をふまえると、介護は一人でなく、地域の人や周囲の人の協力が必要だと思う。僕の叔母もおじいちゃんを介護していた時は辛そうだった。1人で働きながら、介護をしていると心身ともにいっぱいいっぱいになる。第三者の存在が大事になってくるのでは?そうすると、心に隙間が生まれて、余白というか、、、余裕も出てくる気がする」
自立や責任という言葉の意味が、どんどん拡大しているのでは?
といった意見も出ていました。お金を払えば、サービスも受けられるが、老後2000万円問題にもあるように、これからの時代、格差がより広がり、自分の老後や親の介護費用までもが個人の負担となった場合やっていけるのか、疑問が残ります。
また、ここでは母親の気持ちについて議論に上がっていました。
「記事の中では母親の気持ちが書かれていませんが、母親の本当の気持ちも聞いてみたいですね。直接介護している家族が聞くのは難しいと思います。家族同士ってなかなか、そういう気持ちの面は話しにくいところもありますしね。そういう意味でも、第三者の存在は大事になってきますね」
母親の気持ち、息子さんの気持ちを聞きながら、地域の住民・医療者・行政・僧侶など、家族だけでの介護の枠にとらわず、広いコミュニティで、介護について考えていきたいという意見も出ていました。
また、お寺では寺報(お寺の新聞/お知らせ)に、高齢者に役立つ情報を書いてもいいのでは?とアイディアも出ていました。介護する側にも役立つ情報を掲載することにより、高齢者の方や、その方の子どもさんが見てくれる機会が増えていく。それによって世代間のコミュニケーションの一端を担ったり、介護の正しい知識を伝えていけるかもしれない、など様々な意見が飛び交っていました。
次回の常識のカベは、さらに事例を参考にしながらそれぞれの立場からの解決方法やアイディアを話していければと思っています。
 
<次回の常識のカベ>
2019年10月7日(月)18時半〜21時
場所:龍谷大学大宮学舎
参加費:無料
詳細・お問い合わせ:zyoushikinokabe@gmail.com<
facebookページ:https://www.facebook.com/常識のカベ-164432487394557/
 
・参加対象
テーマに興味がある方・高齢者支援に関わる方・終活関連の企画に関わる方・今後の生き方へ不安がある方・まちづくり/地域包括ケアについて考えたい方など
常識のカベでは、どうすれば幸せに生きられるのか?幸福度、QOL等、新たな豊かさのモノサが議論されています。経済成長や物質的豊かさの果てしない追求。
その先に本当の幸せがないことに、多くの人が気づきはじめています。「常識」とは一体何なのでしょうか。
共に語り合い、学び合う中で、混迷をきわめる社会において、一人ひとりの「常識」とは一体何なのでしょうか?
一人ひとりにしずかな革命がおこるような時間となれば嬉しいです。
 
主催:常識のカベ実行委員会・龍谷大学実践真宗学大学院生有志メンバー