宗教は誰にとっても必要なものなの?読者のページ せいてん質問箱|季刊せいてん no.107

立ち読み仏教マガジン
 
●質問●
宗教は、どんな人にとっても必要なものなのでしょうか?
 
 
 
普遍的な救いとは
 
 
この質問には、実は問題点があります。そもそも「宗教」という言葉が指し示す内容は一様ではないからです。しかし、ここでは「宗教とは何か」という議論はしません。というのも、質問の背景に「すべての人が救われるというが、私には救いは必要ないし、お節介なのでは?」という思いが感じられるからです。だとすれば、質問で問われている宗教とは、普遍的な救いを説く教えということになります。
 
「人それぞれ」。一見正しいようですが、一切衆生(いっさいしゅじょう)の救いを説く浄土真宗のみ教えをいただく上で、この問題をどのように考えればよいのでしょう。
 
 
宗教は何にでも効く薬?
 
 
ある人が薬局に行って、薬剤師さんにこう尋ねました。「一番よく効く薬をください」。さて、薬剤師さんは何と答えるでしょう。おそらく「どのような症状ですか?」という問いが返ってくるはずです。「万能薬」という言葉がありますが、風邪にも胃潰瘍(いかいよう)にも何にでも効く薬というのは、まずアヤシイですよね。どんな病も治すという薬は、たいてい毒にも薬にもならない気休めに過ぎません。
 
「すべての人が救われる教え」ということを、「どんな病も治す薬」と同じように捉えるなら、それはアヤシイ宗教か、どうでもよい気休めの教えとなるでしょう。
 
 
万人に共通な苦しみ
 
 
ところで、「救い」とは苦しみから解放されることだと言えますが、仏教では、思い通りにならないことを苦と捉えます。だとすれば、思い通りになれば、とりあえず目の前の苦しみからは解放されますし、あるいは、思い通りにしようという願望を捨てることができれば、やはり思い通りにならないという苦からは離れることができます。
 
ただ、望みがそのまま実現することは稀(まれ)ですし、切実な願いを断念することも簡単にはできません。崇高な願いであればあるほど、その完全な実現は難しく、小さな望みが叶うと、新たに大きな願望が生れてくるものです。そして、さまざまな願いを懐いて生きていくこの命そのものに、やがて必ず終りが来ます。死は、思い通りにならないという苦の最たるものなのです。
 
普遍的な救いを説く宗教が問題とするのは、まさしくこの事実です。人生はいろいろ、人それぞれです。しかし、人生に限りがあることは万人に共通です。親鸞聖人(しんらんしょうにん)が「生死(しょうじ)(い)づべき道(みち)(『恵信尼消息(えしんにしょうそく)』、811頁)を求められたのも、生だけでなく死をも包み込む救いの道を求めたからに他なりません。
 
 
「親鸞一人」の救いとは
 
 
さて、親鸞聖人は法然聖人(ほうねんしょうにん)との出遇(であ)いによっていただかれた教えを「本願醍醐の妙薬(ほんがんだいごのみょうやく)(296頁)と示しておられます。醍醐味(だいごみ)という言葉があるように、「醍醐」というのは最高に美味なるものをあらわしています。ですから、「本願醍醐の妙薬」とは、生きとし生けるすべてのものを必ず安らぎに導こうという阿弥陀仏の願いのはたらきを、必ず効く最高の薬に喩(たと)えた表現ということになります。では、親鸞聖人が最高の薬に喩える救いとは、どのようなものなのでしょうか。
 
ここで、『歎異抄(たんにしょう)』が伝える親鸞聖人の言葉に着目してみましょう。
 
弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案(あん)ずれば、ひとへに親鸞一人(しんらんいちにん)がためなりけり(853頁)
 
 
阿弥陀仏が、ひたすら思いをめぐらせて立てられた本願は、ただこの親鸞一人のためであったとするこの言葉は、一読すると「自分だけの救い」とも解釈されそうです。しかし、親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願(18頁)に「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」と説かれる呼びかけを独占しているのではありません。めぐり合せによって、どのような人生を歩むか分からないこの私を、必ず救い取っていくはたらきは、あらゆるものを救うはたらきでなければならないからです。つまり、「親鸞一人」の救いは、同時に苦しみ悩む一人一人の「私」の救いなのです。阿弥陀仏の本願の前では、すべての人がともに救われていく存在であるのです。
 
たしかに宗教を必要とするかどうかは、人それぞれに違います。しかし、この私を必ず救う教えとは、どのような私であっても救う教えでなければなりません。しかもその救いは、この人生に限定された救いではなく、生と死の両方を包み込んで、なおかつ今ここでの人生に意味を与えるものでなくてはなりません。そうすると、そこに示される救いとは、誰が必要としても、それに応えることができるものであるはずなのです。
 
 
 
龍谷大学准教授(現 龍谷大学教授) 井上善幸(いのうえよしゆき)
 
 
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季刊せいてん no.107 2014夏の号より転載
著者:浄土真宗本願寺派 総合研究所
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掲載日: 2019.11.22