【常識のカベ】養うべきは「老人力」?2025年問題から学ぶ「老い」との付き合い方
【常識のカベ】養うべきは「老人力」?2025年問題から学ぶ「老い」との付き合い方
講義をする中村陽子先生
「自己と他者の在り方にしずかな革命を」ーーめまぐるしく変化を続ける現代社会において、それまで我々が当たり前としてきた「常識」も変化しつつあります。そうした「常識」を改めて問い直し、今後の人生の糧とする事を目的に始まった「常識のカベ」。前回は、介護や看護の現場から生まれる、具体的な事例から老いの現実を参加者の皆さんで見つめ、「自分が同じ立場ならどうするか?」という具体的な対応を考えました。
10月の「常識のカベ」は、特別ゲストとして龍谷大学大学院 実践真宗学研究科教授の中村陽子先生にお越しいただき、「高齢化社会における問題と課題」について最初に30分のミニ講義をしていただきました。続けて、参加者の皆さんで講義の内容に応じたディスカッションを行いました。
中村先生は、もともと看護師をされており、その後、仏教に興味を持ち実践真宗学研究科院生を経て、教授となられました。浄土真宗の門徒とのことで、僧侶の参加が多い常識のカベでは新鮮かもしれません。中村先生には自身の経験を通して、専門分野である老年と地域福祉についてお話いただきました。
自称「おっちょこちょい」な中村先生。「老い」ということについて、本人曰く、自分でも不思議なことに、「老い」という自覚はあまりないと言います。
「敬老パス」の交付といった形で、世間が「老い」と認定をすることで始めて「老い」を実感するといいます。看護師時代にも患者さんから「年取ったら気持ちが良くわかる」と言われたことが今になってよくわかると話します。
「制度は知らないところで動く」と話す中村先生、制度についてきちんと学ぶ必要性を話してくださいました。
日本の医療・福祉の現状と「2025年問題」
2017年における日本の平均寿命は、女性が87.76歳、男性が81.09歳です。高齢化率は27.7%と、超高齢社会を迎えていることは周知の通りです。一方、日本の合計特殊出生率(人口統計上の指標で、一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均)は、1.43となっており、少子高齢社会とも呼ばれていますね。
この傾向は今後も続き、2025年には「団塊の世代がすべて75歳(後期高齢者)を迎える」とされています。こうしたなかで、単身高齢世帯の増加や「老老介護」、認知症、多死社会、医療・介護ニーズの増加に伴う人手不足、高齢者間の経済格差など、種々の問題が発生しています。これらを総称して、「2025年問題」と呼びます。
特に、人手不足の問題は深刻で、介護職はマレーシアから、看護職は中国からと多くの外国人労働者を受け入れているのが現状です。
「認知症」を「認知」する難しさ
今でこそ、認知症という症状は多くの人に「認知」されるようになりましたが、中村先生によると、これも最近の話だといいます。具体的に認知症という言葉が世に広まったのが2003年頃の話で、それまでは病院内でも認知症の知識はほとんどなかったと言います。
数年前までは、明らかに認知症と判断されるような症状の患者さんも「またボケかまして〜」といった、中村先生曰く「どちらかというと軽い感じ」の扱いだったそうです。一見これは大きな問題に見えますが、悪いことばかりではなく、認知症という認識がないゆえに、それに対する偏見もなかったと言います。
中村先生は、こうした認知症に関する、あるエピソードを語りました。昼間の京都から大阪へ向かう電車の中で、向かいの座席に座る老夫婦が大げんかをしたそうです。最初は小さい声で喋っていましたが、ご主人が「この財布は小銭ばっかりでどうしているんや!」と声を荒げ、大げんかが始まってしまったと言います。その光景を目撃した中村先生はすぐに奥さまが認知症を患っていると認識しましたが、ご主人はそうと気づかない様子だったと言います。
このエピソードからも、認知症という症状をきちんと理解していないと、身内の人ですら気づくことができないものなのかと思われたそうです。
そして、今のところ認知症には特効薬がありません。この難しい現実に対して、医療や看護、そして施設や地域はどのように対応するべきかを考えさせられます。
「死」に対応できない現場
続けて、特別養護老人施設(特養)での現場の問題について語る中村先生。先生が実習で訪れた特養でのエピソードを共有してくださいました。
ある若い介護士が、患者の息がいよいよ引き取ろうとする時に看護師を呼んだ後、行方不明になってしまったそうです。どこにいるか探していると、施設の草むらで膝を抱えてうずくまっていました。理由を尋ねると、その介護士は「死を目の当たりにするのが怖い」と話したと言います。いくら介護士といっても死はやはり怖いものですし、看護師でも対応しきれない場合があるそうです。
これを受けて、特に若い世代の介護士や看護師が目の当たりにする「死」に対して、いかようにフォローするべきなのか、当時の施設長は苦心したといいます。「死」というこれまでにない経験をした介護士が耐えられなくなり、現場を去っていく。このような現実も介護職が抱える人手不足問題の要因でしょう。
モデルのない時代をどう生きるのか
2014年頃に朝日新聞が出した「時々入院、ほぼ在宅」という記事に象徴されるように、近頃では長期の入院が困難になりつつあると言います。その背景には、人手不足や費用の高騰化で病院が高齢者を抱えきれない事情があるのでしょう。
実際にある患者さんは入院したのに、たった3日で退院を「命じられた」例を目の当たりにしたそうです。その背景には、長期入院に伴う患者のリスクを病院が嫌い、病院も機能別になって、入院日数が少なくなる傾向があると言います。施設も満員であるといいます。では、どうすれば良いのでしょうか?退院を余儀なくされた結果、一人暮らしをされている高齢の方も少なくないと言います。あるいは「引きこもり」状態のご子息と共に暮らされている場合も。
そのような実態をすでに察知していた中村先生、ご子息に聞くとやはり心に何か問題を抱えているというケースがあるそうです。いわゆる「50・80問題」と呼ばれるものですが、先が思いやられます。課題は山積ですね。
このような状況で、国では「その人らしい暮らしをさせてあげよう」という方針のもと、生活支援や介護を一体で管理する地域包括ケアシステムの構築を進めています。
中村先生はこのシステムの構築が看護だけにとどまらず、地域づくりに繋がるのではと主張されました。つまり、地域をシステム化するのではなく、その地域の人が暮らしやすくするというのが地域包括ケアの考え方ではないかということです。
単にシステムありきで進めるのではなく、それを通してどのような地域に育ててゆくのかが非常に重要であると言います。
お寺や僧侶が活かせるものとは?
社会的には悪しき風習とやゆされることもある檀家制度、中村先生はその制度の中で築いてきた、看取りや助け合いといった文化があったのではないかとおっしゃられました。いわば檀家制度の「強み」であり、この強みをいかにして地域包括ケアとして活用するかが重要です。
檀家制度が、これまでに培ってきた信頼関係は強いと評価する中村先生。地域包括ケアを構築する中で、僧侶がそこに入り込む余地は大いにあると言います。それは、看取りの場にいち早く駆けつけられる「かかりつけ僧」であったり、様々な職業の人同士を繋げられる「コミュニティのハブ」であったり、様々な形があると主張されました。
30分にわたって、中村先生の講義をいただきました。人手不足、認知症、50・80問題など、高齢者介護の現場ではいまだ多くの課題が残されていることを改めて思い知らされる講義となりました。これだけ課題が多いと、どこから手をつければよいのか気が遠くなりますが、それでも人は老います。そして病み、いずれは命を終えていきます。課題解決はもはや待った無しの状況と言って良いでしょう。
では、我々はどう行動すれば良いのでしょうか?後半では、参加者同士でのディスカッションを行いました。
養うべきは「老人力」?
中村先生の講義のあと、参加者が2チームに別れてのディスカッションとなりました。常識のカベメンバーである菱川さんは、認知症に対処する方法として「老人力」を提案されました。「老人力」とは、認知症でコミュニケーションが不自由になった状態、具体的には物忘れや攻撃的な言動といったものをさらりと受け流せる力のことで、年老いてゆく父母と一緒に暮らす事で自然と養われるものだと言います。
翻って現代では、必ずしも父母と一緒に暮らす必要がない時代。いわば「離れたければ離れられる」時代です。そうしたなかで「老人力」が衰えた結果、若者にとって都合の悪い部分だけが「認知症」として嫌悪されるようになったのではないかと述べられました。
また、菱川さんは生活の中の0.2%の時間を活用するという提案をされました。これは、時間にして1日のうち3分だけ(ちょっとだけ)を「お節介」をする、具体的には電車で座席を譲る、遠方の親戚に電話をかけて近況を伺うといった行動をするという決まりを作ることで、日頃の生活ではなかなかできない行動をやっていこうというものです。
一方、今回のコーディネーターである龍谷大学大学院 実践真宗学研究科院生の足利さんは、超高齢社会における寺院や僧侶のあり方について言及。僧侶の役割として、色々な人同士を繋げてゆくという「コミュニティのハブ」になれるのではという意見に対して、「なかなかそうしたスキルを持つ僧侶はいない」と問題点を指摘されました。
確かに、僧侶一人ひとりが地域包括ケアの核となりうるようなスキルを持てるようになるまでは、ある程度の時間がかかるでしょう。また、いまだに根強く残る僧侶の特権階級的な意識や老病死に向き合えていないといった課題も残ります。
そうした中で、菱川さんが提唱された「老人力」と「0.2%の時間」という取り組みを通して養ってゆくことは、僧侶のスキルアップにおいて有効打と言えるのではないでしょうか。
そして、老病死に対する意識のズレがある中で、理詰めで説明するのではなく行動で示すことが、仏教界に新たな風を吹き込むのかもしれません。
キーワード:福祉、介護、医療、地域包括ケアシステム、僧侶、「老人力」、僧侶への信頼、コミュニティ
10月の「常識のカベ」は、特別ゲストとして龍谷大学大学院 実践真宗学研究科教授の中村陽子先生にお越しいただき、「高齢化社会における問題と課題」について最初に30分のミニ講義をしていただきました。続けて、参加者の皆さんで講義の内容に応じたディスカッションを行いました。
中村先生は、もともと看護師をされており、その後、仏教に興味を持ち実践真宗学研究科院生を経て、教授となられました。浄土真宗の門徒とのことで、僧侶の参加が多い常識のカベでは新鮮かもしれません。中村先生には自身の経験を通して、専門分野である老年と地域福祉についてお話いただきました。
自称「おっちょこちょい」な中村先生。「老い」ということについて、本人曰く、自分でも不思議なことに、「老い」という自覚はあまりないと言います。
「敬老パス」の交付といった形で、世間が「老い」と認定をすることで始めて「老い」を実感するといいます。看護師時代にも患者さんから「年取ったら気持ちが良くわかる」と言われたことが今になってよくわかると話します。
「制度は知らないところで動く」と話す中村先生、制度についてきちんと学ぶ必要性を話してくださいました。
日本の医療・福祉の現状と「2025年問題」
2017年における日本の平均寿命は、女性が87.76歳、男性が81.09歳です。高齢化率は27.7%と、超高齢社会を迎えていることは周知の通りです。一方、日本の合計特殊出生率(人口統計上の指標で、一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均)は、1.43となっており、少子高齢社会とも呼ばれていますね。
この傾向は今後も続き、2025年には「団塊の世代がすべて75歳(後期高齢者)を迎える」とされています。こうしたなかで、単身高齢世帯の増加や「老老介護」、認知症、多死社会、医療・介護ニーズの増加に伴う人手不足、高齢者間の経済格差など、種々の問題が発生しています。これらを総称して、「2025年問題」と呼びます。
特に、人手不足の問題は深刻で、介護職はマレーシアから、看護職は中国からと多くの外国人労働者を受け入れているのが現状です。
「認知症」を「認知」する難しさ
今でこそ、認知症という症状は多くの人に「認知」されるようになりましたが、中村先生によると、これも最近の話だといいます。具体的に認知症という言葉が世に広まったのが2003年頃の話で、それまでは病院内でも認知症の知識はほとんどなかったと言います。
数年前までは、明らかに認知症と判断されるような症状の患者さんも「またボケかまして〜」といった、中村先生曰く「どちらかというと軽い感じ」の扱いだったそうです。一見これは大きな問題に見えますが、悪いことばかりではなく、認知症という認識がないゆえに、それに対する偏見もなかったと言います。
中村先生は、こうした認知症に関する、あるエピソードを語りました。昼間の京都から大阪へ向かう電車の中で、向かいの座席に座る老夫婦が大げんかをしたそうです。最初は小さい声で喋っていましたが、ご主人が「この財布は小銭ばっかりでどうしているんや!」と声を荒げ、大げんかが始まってしまったと言います。その光景を目撃した中村先生はすぐに奥さまが認知症を患っていると認識しましたが、ご主人はそうと気づかない様子だったと言います。
このエピソードからも、認知症という症状をきちんと理解していないと、身内の人ですら気づくことができないものなのかと思われたそうです。
そして、今のところ認知症には特効薬がありません。この難しい現実に対して、医療や看護、そして施設や地域はどのように対応するべきかを考えさせられます。
「死」に対応できない現場
続けて、特別養護老人施設(特養)での現場の問題について語る中村先生。先生が実習で訪れた特養でのエピソードを共有してくださいました。
ある若い介護士が、患者の息がいよいよ引き取ろうとする時に看護師を呼んだ後、行方不明になってしまったそうです。どこにいるか探していると、施設の草むらで膝を抱えてうずくまっていました。理由を尋ねると、その介護士は「死を目の当たりにするのが怖い」と話したと言います。いくら介護士といっても死はやはり怖いものですし、看護師でも対応しきれない場合があるそうです。
これを受けて、特に若い世代の介護士や看護師が目の当たりにする「死」に対して、いかようにフォローするべきなのか、当時の施設長は苦心したといいます。「死」というこれまでにない経験をした介護士が耐えられなくなり、現場を去っていく。このような現実も介護職が抱える人手不足問題の要因でしょう。
モデルのない時代をどう生きるのか
2014年頃に朝日新聞が出した「時々入院、ほぼ在宅」という記事に象徴されるように、近頃では長期の入院が困難になりつつあると言います。その背景には、人手不足や費用の高騰化で病院が高齢者を抱えきれない事情があるのでしょう。
実際にある患者さんは入院したのに、たった3日で退院を「命じられた」例を目の当たりにしたそうです。その背景には、長期入院に伴う患者のリスクを病院が嫌い、病院も機能別になって、入院日数が少なくなる傾向があると言います。施設も満員であるといいます。では、どうすれば良いのでしょうか?退院を余儀なくされた結果、一人暮らしをされている高齢の方も少なくないと言います。あるいは「引きこもり」状態のご子息と共に暮らされている場合も。
そのような実態をすでに察知していた中村先生、ご子息に聞くとやはり心に何か問題を抱えているというケースがあるそうです。いわゆる「50・80問題」と呼ばれるものですが、先が思いやられます。課題は山積ですね。
このような状況で、国では「その人らしい暮らしをさせてあげよう」という方針のもと、生活支援や介護を一体で管理する地域包括ケアシステムの構築を進めています。
中村先生はこのシステムの構築が看護だけにとどまらず、地域づくりに繋がるのではと主張されました。つまり、地域をシステム化するのではなく、その地域の人が暮らしやすくするというのが地域包括ケアの考え方ではないかということです。
単にシステムありきで進めるのではなく、それを通してどのような地域に育ててゆくのかが非常に重要であると言います。
お寺や僧侶が活かせるものとは?
社会的には悪しき風習とやゆされることもある檀家制度、中村先生はその制度の中で築いてきた、看取りや助け合いといった文化があったのではないかとおっしゃられました。いわば檀家制度の「強み」であり、この強みをいかにして地域包括ケアとして活用するかが重要です。
檀家制度が、これまでに培ってきた信頼関係は強いと評価する中村先生。地域包括ケアを構築する中で、僧侶がそこに入り込む余地は大いにあると言います。それは、看取りの場にいち早く駆けつけられる「かかりつけ僧」であったり、様々な職業の人同士を繋げられる「コミュニティのハブ」であったり、様々な形があると主張されました。
30分にわたって、中村先生の講義をいただきました。人手不足、認知症、50・80問題など、高齢者介護の現場ではいまだ多くの課題が残されていることを改めて思い知らされる講義となりました。これだけ課題が多いと、どこから手をつければよいのか気が遠くなりますが、それでも人は老います。そして病み、いずれは命を終えていきます。課題解決はもはや待った無しの状況と言って良いでしょう。
では、我々はどう行動すれば良いのでしょうか?後半では、参加者同士でのディスカッションを行いました。
養うべきは「老人力」?
中村先生の講義のあと、参加者が2チームに別れてのディスカッションとなりました。常識のカベメンバーである菱川さんは、認知症に対処する方法として「老人力」を提案されました。「老人力」とは、認知症でコミュニケーションが不自由になった状態、具体的には物忘れや攻撃的な言動といったものをさらりと受け流せる力のことで、年老いてゆく父母と一緒に暮らす事で自然と養われるものだと言います。
翻って現代では、必ずしも父母と一緒に暮らす必要がない時代。いわば「離れたければ離れられる」時代です。そうしたなかで「老人力」が衰えた結果、若者にとって都合の悪い部分だけが「認知症」として嫌悪されるようになったのではないかと述べられました。
また、菱川さんは生活の中の0.2%の時間を活用するという提案をされました。これは、時間にして1日のうち3分だけ(ちょっとだけ)を「お節介」をする、具体的には電車で座席を譲る、遠方の親戚に電話をかけて近況を伺うといった行動をするという決まりを作ることで、日頃の生活ではなかなかできない行動をやっていこうというものです。
一方、今回のコーディネーターである龍谷大学大学院 実践真宗学研究科院生の足利さんは、超高齢社会における寺院や僧侶のあり方について言及。僧侶の役割として、色々な人同士を繋げてゆくという「コミュニティのハブ」になれるのではという意見に対して、「なかなかそうしたスキルを持つ僧侶はいない」と問題点を指摘されました。
確かに、僧侶一人ひとりが地域包括ケアの核となりうるようなスキルを持てるようになるまでは、ある程度の時間がかかるでしょう。また、いまだに根強く残る僧侶の特権階級的な意識や老病死に向き合えていないといった課題も残ります。
そうした中で、菱川さんが提唱された「老人力」と「0.2%の時間」という取り組みを通して養ってゆくことは、僧侶のスキルアップにおいて有効打と言えるのではないでしょうか。
そして、老病死に対する意識のズレがある中で、理詰めで説明するのではなく行動で示すことが、仏教界に新たな風を吹き込むのかもしれません。
キーワード:福祉、介護、医療、地域包括ケアシステム、僧侶、「老人力」、僧侶への信頼、コミュニティ
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