【敬老の日ピックアップ】「老いの価値を考える」超高齢社会を迎えた私たちが今、考えること
2019年6月、「老いの価値を考える」をテーマに、「常識のカベ」というイベントを市民・学生・僧侶の有志のメンバーで開催しました。
参加者として僧侶、学生、実際に終活のNPOをされている市民などが10名程集まりました。
常識のカベとは、2017年より京都市下京区で活動を開始。問われそうで問われないような、世の中の「そもそも論」を添加し、少し立ち止まってみながら今ある”常識”を考え直すような時間をつくっています。
今日、超高齢社会を迎えた世の中では、高齢者支援やエンデイング産業のあり方について、活発な議論が行われています。しかし、そこには「老いとは何か」という根本的な問いが欠けているのではないでしょうか。
そもそも、現代社会において「老い」とは何なのでしょうか。そしてなぜ、多くの人は「老いたくない」と思っているのか。もしかしたら、若い世代がつくる社会が高齢者に「老いたくない」と思わせてしまっているのではないか……。それなら、そう思わせる社会とは何なのでしょうか。いずれも簡単には答えの出ない問題であると思っています。これから1年かけて、テーマに関心を持つ多様な市民が集い、希望ある老後、そしてこれからの生き方を見据えて意見を交わす時間をつくることができればと思います。
「常識のカベ-自己と社会のあり方にしずかな革命を-」と題して、2015年より活動を開始した本企画。今までは農業・芸術・まちづくり・医療・仏教の各種専門家をお招きして、月に一度、会を開催してきました。今年は、「老いの価値を考える」を年間のテーマとして、テーマに関わる方や興味がある方と議論を進めていきます。
第1回となった6月のテーマは「老いたくない気持ちについて考える」でした。
まずは、「老いたくない気持ち」というものは一体どんなものかを、さまざまな年齢層の参加者と共に意見を出し合いました。そこでは、「老いることと死ぬことはみんなに訪れる」「老いたくない。何もできなくなるから」との意見が出ました。また反対に、「老いていくのはすばらしい」「テクノロジーを駆使すれば、老いることは避けられるのではないか」「衰えるという価値もあるのでは?」と老いの話から「死にたくない」といった死の話までさまざまな意見も出てきました。