かわいそうな子、かわいそうじゃない子。あなたはどこに線を引く?
こんなことを言われたことがある。
「あなたよりかわいそうな子はたくさんいるのよ。
あなたは恵まれてるんだからね」
恵まれているってどういうことだろう。
家族がいること?
愛されていること?
お金があること?
帰る家があること?
健康でいること?
知っている。自分がじゅうぶん与えられていることは。
けれど、どこかで満たされない。
じゃあ、かわいそうな子ってどんなだろう。
家族を失った子?
愛情を受けられない子?
貧しい生活をしている子?
病気を抱える子?
自分をかわいそうだと思っている子?
なんだかしっくりこない。
恵まれていることと、かわいそうであることの間に何があるんだろうか。
このふたつの一体何が違うというのだろうか。
恵まれているはずの私たちが口にする「かわいそう」はどこか虚しい響きがつきまとう。
何もしてあげられなくてつらい……。
私はまだマシだな……。
代わってあげたい……。
見ていられない……。
そうなのだ。
いつだって、私たちは少し離れた岸に立って、対岸の火事を見るように誰かを「かわいそう」と言う。そんな自分のあり方に気付いている人は、少し小さな声で、「かわいそう」とつぶやく。
私とは違うあの子。
私よりも恵まれていないあの子。
でも、同じ岸に立とうとする人の言葉は違う。
彼らは「かわいそう」とは言わない。
彼らは、そこにもきちんとしあわせがあることを知っているから。
誇りあるいのちが日々を生きていることを知っているから。
「かわいそう」だと言われる彼らの笑顔を知っているから。
遠くの世界からは見えないささやかな、しかし確かに今ここにあるしあわせを守り育てようとする彼らの言葉を、聞こう。きっと、そこには私たちにもできることが、小さくてもできることが必ずあるのだ。
「恵まれている」私たちが作り出す、「かわいそう」の向こう側。
それを教えてくださるのは、「世界平和の実現=すべての生命が安心して生活できる社会の実現」を設立目的として各国で活動を続ける認定NPO法人テラ・ルネッサンスの栗田佳典(くりた・よしのり)さん。全4回にわたってお話をお聞きします。
①かわいそうな子、かわいそうじゃない子。あなたはどこに線を引く?
②その子に必要だったのは「教わる」ことではなく「考える」ことだった
③「なぜこの仕事を続けるのか?」
④私とあなたは違うってこと。それは喜びの種