「孫自慢がうっとうしい」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「孫自慢」。お孫さんの写真を携帯電話の待ち受けにする、というのはもしかしたら今では高齢者の方に特有の一つの文化なのかもしれません。特にまだお孫さんが幼いうちは、ことあるごとに写真を見せびらかして自慢してしまう方も少なくないのでは。ですが、それをされる方はどう思うのでしょうか?そんな問題を僧侶が考えます。
今日のテーマ:孫自慢がうっとうしい
友人がことあるごとに孫の話をしてきて大変にうっとうしい。どうしたものか…。
やっぱり孫って可愛いんですか?
人によるとは思うけれど、親として色々な責任が伴う子どもに比べて、直接の責任がないから孫の方が存分に可愛がれる、というのは聞くね。
家:ああ、責任があると無条件に甘やかしたりできませんもんね。なるほど。だから孫というのは世間であんなに尊重されるんですね。僕もご門徒さんの家にお参りさせて頂いたとき、結構な確率で始まりますよ、お孫さん自慢。割とほほえましいですよね。
一回や二回なら楽しそうだし、孫の成長が生きがいという方も多いからいいんだけれど、毎回写真を見せてこられたりすると少しげんなりしてしまうかもしれないな。
家:どうして、うっとうしくなるんでしょうね?
お孫さん自慢には、僕たちが必要ないからじゃないかな。
必要ないって、どういうことですか?
どう言ったらいいのかな。例えば、これがお孫さんに関する悩みや相談だったとしよう。そこでは、問題解決のために僕たちの考えが求められている。つまりこの対話の中には僕という存在が必要だ、というメッセージが含まれているわけだ。
ふむふむ。
だけど、お孫さん自慢はそうじゃない。お孫さんのエピソードと、それに対するご本人の感想が述べられるだけで、その内容と、僕たちは関わり合いがない。
あー、それはつらい。こちらを無視しているっていうわけじゃないんでしょうけど、ちょっとないがしろにされてしまっている気がしますね。
だからって現実的にどうしろとはいえないんだけど。難しいんだよね、自慢話の対応って。
変にうなずいちゃうと止まらなくなりますし、かといって無視するわけにも行きませんしね。加減がわからないというか。
でも、これよく考えると、僕たちも気をつけなきゃダメだなぁ。
孫自慢ですか?
いや、そうじゃなくて。僕たちはやっぱり僧侶だからいろんな方に仏教の話をさせていただくよね。そのときに相手のことをないがしろにしないような、相手の悩みや、興味にあわせてお話をする必要がある。けれど、僕たちは仏教が大好きなばっかりに、つい相手を無視して話したいことを話していないかな、と思って。
ああ、なるほど。それはお孫さん自慢と同じ構図ですね。聞いて下さる方もげんなりしちゃうでしょうし、お互い気をつけましょう。
僧侶たちの議論はまだまだ続きますが、ひとまずここまで。
以上、僧侶の部屋での座談会でした。何かのヒントになれば幸いです。
《本日の僧侶プロフィール》
田舎好き僧侶
大自然とスローライフをこよなく愛する僧侶。将来は畑をいじって暮らしたいと夢見る。
家電僧侶
学生時代から6年間、家電量販店でアルバイトをしていた僧侶。家電業界と接客について理解がある。
「僧侶の部屋」では、様々な経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。