新聞社勤務、お遍路、海外留学……数々のご縁に導かれた「自然農」という生き方│山田黙鐔さんインタビュー<前編>

どこか遠くでちょっと違った暮らしがしてみたい。
 
風や植物、生き物などの自然に触れたい。
 
こころが疲れたとき、人間関係に悩んだとき、ふとそう思ったことはありませんか?それはもしかすると、人間の根源的な欲求なのかもしれません。
 
今回お話を伺ったのは、福井県で農業をしながらお寺の住職をされている山田黙鐔(やまだ・もくだん)さんです。
 
以前は新聞社に勤務されていた山田さん。なぜ僧侶の道を選ばれたのか?
様々なご経験の中で気づかれたこととは?
自然と仏教に生きる意味を見出した山田さんのお話を、3回にわたって聞かせていただきます。
 

山田さんのご家族(写真はすべて山田さんご提供)

 

 

歴史好きが呼んだ海外への道

 
――山田さんはお寺のお生まれではないとのことですが、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?
 
山田黙鐔さん(以下、山田):出身は愛知県名古屋市です。住宅街みたいなところで育ちました。お寺の生まれではないですが、真言宗に熱心な父親がいる家庭で育ちました。昔は浄土真宗だったみたいですが、戦時中に疎開したところに浄土真宗のお寺がなくて、真言宗に変わったようです。祖母もすごく熱心で、今思えば毎年家族旅行で高野山にも行っていましたね。お寺の家系ではなかったものの、まったく仏教にご縁がなかったというわけでもありませんでした。
 
あと私は小さい頃から本が好きで、そこからゲームオタクになりまして。中でも歴史モノにはまっていました。
 
――ゲームを通じて歴史に興味を持たれたんですね。
 
山田:とにかく歴史が好きだった中学、高校時代でしたね。大学も歴史学科に行ったんです。織田信長が好きでしたね。人と違うことをして天下を取るという生き様がかっこいいと思ったんです。あと三国志の劉備(りゅうび)。強いわけではないけど人徳があるというところが好きでした。
 
――歴史のどういったところに魅力を感じられたのでしょうか?
 
山田:やっぱり「かっこいい」と思ったのが始まりでしょうか。生死をかけた戦いって今はほとんどありませんが、そう遠くない昔にはあったんですよね。戦国時代の戦いは、個人的な欲望だけではなく、信念をかけた戦いでもあった。そういう部分にかっこよさを感じたんだと思います。
 
――「歴史好き」が山田さんの僧侶としての基盤になっている部分もあるのでしょうか。
 
山田:そうですね。少し時系列は飛びますが、大学を卒業した後に働いていた新聞社を辞めてから、四国でお遍路をしたんです。そのとき外国人の方によく話しかけられたんですよ。
でも私は英語が話せなかったんです。外国の方に、四国のお城やそのゆかりの武将などの話をしたかったんですけど、英語で話そうとするとあーとかうーしか出てこない……それが後になってすごく悔しくなってきたんですね。
それから英語を勉強したいと思い、カナダに留学もしました。
 
 

「何のために生きているのか」激務の新聞社勤務で気づいたもの

 
――新聞社に勤められていたというお話がありましたが、新聞社に就職したいと思われたのはなぜでしょうか?
 
山田:勤め始めるもっと前に新聞勧誘のアルバイトをしていたことがあったんですが、そのときにお客さんから聞く新聞社のイメージが悪くて。騙されて新聞を取らされたとか、そういう声ですよね。そのイメージを払拭したいと思い、新聞社に就職したんです。
ところが、配属された部署はその悪いイメージ通りのことをしている部署で。こんなことをするために新聞社に入ったんじゃないと何度も思いました。
 
さらに当時の新聞社は休みがとても少なかったり、社内の健康診断で健康だとわかれば「働いていないんじゃないか、健康ならもっと働け」と言われたりする風潮があって。
そしてだんだん「何のために生きているのか」と思うようになったんです。
 
――過酷な仕事環境だったんですね……。
 
山田:ここにいると危ないなと思いました。そして3年目のとき転勤が決まって、このタイミングしかないと思って新聞社を辞めました。それが24歳のときです。
 
――人間は何のために働くのか?そんな疑問を持ってしまいますね。
 
山田:そうですね。ただ、仕事をしていたときはお金を使う余裕がなかったので、そのぶん貯金ができました。その貯金でお遍路にも行けたので、そこは感謝しています。
 

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記事作成:他力本願.net
掲載日: 2021.08.06