母親であり僧侶。前田純代さんが文章を通して伝えたいこと│前田純代さんインタビュー<前編>

 

一人でいるとき独りじゃないと思わせてくれる存在に、子どものときに出会えるように

 

『親子で読める ほとけさまのおはなし』仏教こども新聞社 編

 
――前田さんは多くの誌面でご活躍されていますが、「母親」の視点で書かれている文章をよくお見かけするような気がします。
 
前田:あらためて考えてみると、『仏教こども新聞』の他の編集委員さんも、私のことを「母親ライター」と思っている方は多そうですね。自分の子どものことを書くことが多いですし、実際に自分が母親として悩んでいることを具体的に書いています。世の中の親御さんたちのしんどい思いを私なりに代弁して、読んだ方に少しでも楽になってもらえたらいいなと思いながら文章を考えています。
 
――保護者の悩みを当時者の視点で取り上げてもらえる点も、『仏教こども新聞』がよろこばれる理由の一つではないでしょうか。
では、『仏教こども新聞』を読むお子さんにはどういったことを伝えていきたいですか?

 
前田:私の記事を読んでくれるお子さんに一番伝えたいことは、「いつでもどこでも、どんなあなたであっても、必ず寄り添ってまもってくださる存在がいるよ」ということです。例えばお父さんお母さんに会えないお子さんもいます。親と子どもの関係が良くない場合もあります。また、親子関係が良好でも、親が永遠に子どもと一緒にいてあげられるわけじゃありません。子どもが苦しいとき、悲しいとき、病気やけがをしたとき、そばにいてあげられないかもしれない。
子どもにとって一番近しい存在であろう親がいない、そんな世界のすべてに見放されたかのように感じるときでも、仏さまが常にそばにいて、いつも自分を見ていてくださっていることを思い出してくれたら、生きる力になるんじゃないかと思うのです。
 
――「仏さまがそばにいて、いつも見まもってくださっている」という希望や安心感を子どもたちに伝えたいと思われるようになったのはなぜでしょうか?
 
前田:息子が小さい頃、浄土真宗のお寺が運営している幼稚園に通っていたのですが、参観に行くと、園児たちが「仏さまは見ていらっしゃいます、仏さまは聞いていらっしゃいます、仏さまは知っていらっしゃいます」ととなえていたんです。
今や中学生になった息子曰く、「当時は何も考えずに、ただみんなに合わせてとなえていた」そうですが、そんな彼に「仏さまは今でも見ていらっしゃると思う?」と聞くと、「そうなんじゃない」と、反抗期とは思えぬ意外に素直な反応。
普段の彼を見ていると、中学生の頃の私よりはるかに生きるのが楽しそうです。成績が悪くても、野球の試合で負けても、人間関係で悩んでも、どこかで「だいじょうぶ」と思っているフシがあります。もともと楽観的な性格のせいかもしれませんが、もしかするとこれが、小さい頃から「仏さまは見ていらっしゃるよ」と教えてこられた結果なのかもしれないと思いました。
 
じゃあ大人になってからはどうなんだろうと思って、お寺で生まれ育った夫にもそういった感覚があるか聞いてみました。すると、息子と同じように夫も仏さまがそばにいらっしゃると感じているみたいなんですよ。私は僧侶ではあるものの、本当に正直なことを言うと「仏さまがいつもそばで見てくださっている」という感覚がピンと来ていなかったので、衝撃を受けましたね。
 
私はずっと、独りで生きてきたと思っていたんです。私が子どもの頃に、いつも私のことをそばで見てくださっている存在がいるなんて教えてもらったことはありませんでしたから。何か問題が起きても独りで解決して、何か困難があっても独りで乗り越えなければならない、といつもそう思ってきました。しかし、子どもや夫の様子を見て私は、もしかしたら「仏さまはいつもそばで見てくださっている」と教えられて育った子どもは、大人になっても何となくその感覚を持っているのかもしれない、またその感覚を持つことで、人生の困難を乗り越えられるのかもしれないと思いました。
そして、「仏さまは自分を他の子と比べたりしない。自分をただ一人の子どものように慈しみ決して見捨てない」と知っていれば、どんなに落ち込んだときも自分自身を見捨てることなく生きていけるのかもしれないと思いました。
 
――子どもたちに「仏さまはいつも見てくださっている」ことを伝えたいという想いから、『仏教こども新聞』でご執筆されているんですね。
そのことに前田さんご自身が気付かれてから、お子さんとの関わり方に変化はありましたか?

 
前田:子育てでイライラしたり、子どもたちを感情的に怒ったりすることが、少しずつ減ってきました。子どもが生まれたばかりのときには、子育ての責任を一人で背負ってプレッシャーに押しつぶされそうになっていましたね。結果的に、イライラして感情的に怒ってしまって、自己嫌悪に陥る、ということの繰り返しだったような気がします。
けれども、仏さまが子どもたちを見まもってくださっているのと同じように、私自身もずっと見まもられているのだと知ると、なんだか安心感のようなものがわいてきました。
子どもにとって、いつでも頼れる優しく穏やかな親でありたいと思いながらも、現実の自分は理想からほど遠く、毎日「母親失格」と落ちこむことばかりです。でも、仏さまは不完全な私を責めない。不完全な私をそのまま受け入れてくださる。子どもも、親である私も、等しく「仏の子」なんですよね。私と子どもが向かい合って私が子どもを育て導いていくのではなく、私も子どもも、仏さまの方を向いて、ともに手を合わせ仏さまに育てられ導かれていく。そう思うと子育てが楽になりました。
 
それから子どもたちも、親である私が仏さまのみ教えと出遇ったことで、楽になった一面もあるんじゃないでしょうか。私は、以前より子どもを他の子と比べなくなりましたから。
子どもが赤ちゃんの頃は、よその子が先に歩いた、話した、うちの子はまだだと言って焦ったり不安になったり。子どもが幼稚園にあがると、他の子がちゃんと座って話を聞いているのに、うちの子はよそ見して違うことしている、と子どもを責めたりして。子どもにしてみたら、他と違うというだけで、比べられて怒られて……。子どもなりにプレッシャーを感じていたことでしょう。
 
「仏さまは、あなたを他の人と比べません。どのようなあなたであっても、そのままのあなたを必ず救うと呼び続けていらっしゃいます」このように聞かせていただくと、自分を他人と比べること、自分の子どもを他の子どもと比べることが実は罪なのだと知るようになります。そして、仏さまのようにそのままの子どもを受け入れる親でありたいと思うようになりました。
 
 

 

   

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掲載日: 2021.09.02

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