公務員の現実と、僧侶を目指す道のり|花岡尚樹さんインタビュー<前編>
公務員として
ーーその後、どうされましたか?
高校卒業後、公務員を目指す専門学校に入学しました。
専門学校では猛勉強しましたよ。人生初の猛勉強でしたね。
ーーどうして公務員を目指されたのですか?
公務員は不景気でも安定しているイメージがありました。そして国家公務員三種を取得して、就職も決まりました。文部省所管の神戸大学の事務職員で、配属先は大学附属病院でした。
ーー大学病院でのお仕事はどうでしたか?
人生初の仕事は、大変厳しい状況から始まりました。1月1日付けで採用されて1月4日に就職しましたが、その二週間後に阪神淡路大震災がおこったのです。
地震の前日、わたしは実家に帰っていました。翌日は実家から出勤するつもりでいましたが、その日は交通機関が全て断たれていて出勤できませんでした。
結局、地震から3日して、最寄り駅から歩いて職場に辿りつくことができました。ところが、到着した先の職場の状況は思わしくない状態でした。
ーーといいますと?
職場の人たちは家に帰れず、医療機関ですので働きっぱなし。患者さんは多くいますが、こっちは新人職員で仕事内容について何も理解してない。
ですから、やっとの思いで職場についても「誰ですか?」という扱いでした。役に立てないことが腹立たしく感じました。
ーー神戸の震災を今どのように振り返りますか
震災はいろんな意味で転機でした。いろんな人間の姿を見ました。
被災地に近い駅で混雑しているなか、お年寄りや赤ちゃんを優先して座らせている姿を見ました。ほかにも助け合っている人の姿がたくさんありました。
そんな姿を見たとき、この社会も捨てたもんじゃないと思い、希望を感じることができました。
一方、震災から時間が経つにつれ、人間の醜い部分も見えました。
「家が、全壊したか、半壊したか」で補助金の交付額が違うことに不満を口にする人や、職場でも、診察費未納の患者さんから「払えるわけないやろ!」と怒鳴られたりしました。
ーー仕事の内容はどういったものでしたか?
わたしの主な業務は、医療費を納付していないお方のご自宅をまわって支払いをお願いすることでした。
ところが震災で家が全壊し仮設住宅に入居されている方のご自宅に、革靴とスーツそれにアタッシュケースを持ってまわっている自分の姿に、だんだん嫌気がさすようになりました。
他にも、疾患だけをみて、人をみない医療のあり方など、医療に対する疑問もありました。そうしたなかで、仕事へのモチベーションもだんだんと低下していったのだと思います。結局、二年で仕事を辞めることになりました。