僧職図鑑07ー花岡尚樹(はなおかなおき)ー《前編》

 
今回のインタビューは、終末期の緩和ケアを提供する医療施設の常駐僧侶「ビハーラ僧」として活動されている花岡尚樹さん。花岡さんがビハーラ僧になられるまでの半生と、現在の活動内容についてお聞きしました。
 

 
青年期は?
 
ーーご実家がお寺だったんですか?
 
もともと祖父祖母がお念仏にあつく、その影響で父は行信教校(大阪府高槻市にある仏教の専門学校)を出て僧侶になりました。その後、大阪府羽曳野市の新興住宅地のなかにお寺を建て、わたしはそこで生まれ育ちました。
 
兄弟は男3人。わたしは末っ子で、子供の頃はお坊さんになりたいとは考えていませんでした。
 
 
ーーどんな少年期でしたか?
 
実家がお寺というのがとにかく嫌でしたね。
 
小学校高学年ころから、まわりの目線が気になり始めました。まわりから「線香くさい」と茶化されたりして、はずかしくて友達を家に来させませんでした。
 
他の友達の父親は、朝出勤して夜帰ってくるし土日は家族で過ごします。けれどもわたしの父親はいつも家にいるし、出張もないし、土日は法事で家にいない。まわりの環境のひとつひとつが友達と違うのが嫌でした。
 
ーー「まわりと違う」ことが気になっていたんですね
 
そうですね。もともと体が弱いこともあって、まわりの目を気にすることが多かったです。高校生の頃は「体が弱いのは誰かのせい」と思ったり、「友達とはいえ、自分の気持ちなんかわかってくれない」と割り切った見方をしたときもありました。
 
ーー僧侶からどんどん遠ざかっていったのですね
 
高校生の時、兄二人が就職しました。
 
そのころから、今後の進路として僧侶やお寺を意識するようになりました。
 
そして、思い切って父に「行信教校に入りたい」と言いました。そうしたら、父から「楽だと思って坊主になろうなんて思うな!そんな気持ちで坊主にならんでいい!」と厳しく返されました。
 
こちらの本当の気持ちは「ならせてください」と頼んでいるのですが、言い方は「なってやる」みたいになってしまう。結局、ケンカ別れをして僧侶になる道は一度閉ざされました。
 
 
公務員として
 
ーーその後、どうされましたか?
 
高校卒業後、公務員を目指す専門学校に入学しました。
 
専門学校では猛勉強しましたよ。人生初の猛勉強でしたね。
 
ーーどうして公務員を目指されたのですか?
 
公務員は不景気でも安定しているイメージがありました。そして国家公務員三種を取得して、就職も決まりました。文部省所管の神戸大学の事務職員で、配属先は大学附属病院でした。
 
ーー大学病院でのお仕事はどうでしたか?
 
人生初の仕事は、大変厳しい状況から始まりました。1月1日付けで採用されて1月4日に就職しましたが、その二週間後に阪神淡路大震災がおこったのです。
 
地震の前日、わたしは実家に帰っていました。翌日は実家から出勤するつもりでいましたが、その日は交通機関が全て断たれていて出勤できませんでした。
結局、地震から3日して、最寄り駅から歩いて職場に辿りつくことができました。ところが、到着した先の職場の状況は思わしくない状態でした。
 
ーーといいますと?
 
職場の人たちは家に帰れず、医療機関ですので働きっぱなし。患者さんは多くいますが、こっちは新人職員で仕事内容について何も理解してない。
ですから、やっとの思いで職場についても「誰ですか?」という扱いでした。役に立てないことが腹立たしく感じました。
 
ーー神戸の震災を今どのように振り返りますか
 
震災はいろんな意味で転機でした。いろんな人間の姿を見ました。
被災地に近い駅で混雑しているなか、お年寄りや赤ちゃんを優先して座らせている姿を見ました。ほかにも助け合っている人の姿がたくさんありました。
そんな姿を見たとき、この社会も捨てたもんじゃないと思い、希望を感じることができました。
 
一方、震災から時間が経つにつれ、人間の醜い部分も見えました。
「家が、全壊したか、半壊したか」で補助金の交付額が違うことに不満を口にする人や、職場でも、診察費未納の患者さんから「払えるわけないやろ!」と怒鳴られたりしました。
 
ーー仕事の内容はどういったものでしたか?
 
わたしの主な業務は、医療費を納付していないお方のご自宅をまわって支払いをお願いすることでした。
 
ところが震災で家が全壊し仮設住宅に入居されている方のご自宅に、革靴とスーツそれにアタッシュケースを持ってまわっている自分の姿に、だんだん嫌気がさすようになりました。
 
他にも、疾患だけをみて、人をみない医療のあり方など、医療に対する疑問もありました。そうしたなかで、仕事へのモチベーションもだんだんと低下していったのだと思います。結局、二年で仕事を辞めることになりました。
 

 
僧侶になろう
 
ーーいつごろから僧侶になろうと思われたんですか?
 
仕事に行き詰まったころから、真宗大谷派(東本願寺)の僧侶が大阪のミナミでひらいている「坊主バー」に足が向くようになりました。お坊さんがバーテンダーとして勤務しているお店です。
 
ーー行き詰まって、どうして僧侶のところへ?
 
どうしてでしょう。。。脳裏に父の姿があったのかもしれません。
 
ーーお父さんの姿?
 
なんやかんや言って、父を認めていたんだと思います。
 
父は真面目で芯がしっかりしています。高校生の僕に「僧侶にならんでええ」と言ったくらい、僧侶としての芯を持っています。
「坊さんの子供は坊さん」ではなく、僧侶になるからにはしっかりしなければならないことを、父はわたしが小さいころから態度で示してくれていました。
 
ーーお父さんのところへ行かれましたか?
 
じょじょに自分の中で、「僧侶になりたい」という気持ちがはっきりとしてきました。
 
そしてあらためて父に「僧侶になりたい」、「楽になりたいから僧侶の道を選ぶんじゃない」と伝えました。父にそう言えたことで、僧侶としての道筋が一層に明確に見えてきたように思います。
 
ーーお坊さんになろうと決意された後は、どうされましたか?
 
仕事を辞めて、中央仏教学院(京都にある仏教の専門学校)に入学し、僧侶の資格を取得し無事卒業しました。その後、行信教校に入りました。
 
行信教校へは、自分で生活費を稼ぎながら通学しました。日夜のアルバイトは本当にキツかったです。結果、心身ともに疲れはててやがて学校を休むようになりました。結局、行信教校は6年かけて卒業しました。
 
その後、布教使(浄土真宗の伝道者)の資格を取得しました。
 
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僧職図鑑07ー花岡尚樹(はなおかなおき)ー《後編》

 
記事作成:他力本願.net
掲載日: 2013.08.09