僧侶としてどうあるべきか?|木村共宏さんインタビュー③

木村さんへのインタビュー第3回。最終回となる今回は、商社時代に得た経験をもとに、現代の僧侶や寺院のあり方を伺いました。商社と寺院に見いだせる共通点、いかに宗教を現代人に受け入れられるようにするか……非常に鋭いご指摘を頂戴しました。
 

 

いま、僧侶の価値が問われている

 
ーー18年間商社に勤められたご経験の中で、僧侶や寺院が参考にすべきことは何かありましたか?
 
木村共宏さん(以下、木村):お寺と共通する部分でもあると思うのですが、商社に学ぶべきところがあるとすれば「人しかいない中でどうするか」というところだと思います。
企業の多くは製品を作るための設備や工場を持ったり、サービスを提供するための交通インフラや通信インフラを保有したりします。しかし、商社は基本的にそういった資産をもって製品やサービスを提供するわけではありません。商社の資産といえば、中で働く人間くらいのものです。
 
商社は他の多くの企業や顧客の間に立ってビジネスを行います。ですが、いつも喜んで間に入れてもらえるわけではありません。商社が間に入らなければ余計な手数料を払う必要がありませんので。だから、彼らから必要ないと言われたらそれまでなんですよね。
僧侶も似たようなところがあると思うんです。僧侶はお寺があるがゆえに、ついついお寺の方に意識がいきがちです。ですが、お寺が何かをどんどん生み出すわけではありません。つまり、僧侶自身がとても大事なんだと思います。良くも悪くもお寺に甘えたり、お寺のせいにしたりしている部分があるのではないかと思います。
僕は未来の住職塾で教える時に、「もしお寺を持たない僧侶だったらどうしますか」と聞くことがよくあります。しかし、そういう風に考えたことがないのか、ちゃんと答えられる人はなかなかいません。
 
お寺自体にも確かに価値はあるかもしれませんが、それ以上にそこにいる僧侶の価値が問われるのが今の時代だと思います。ですので、僧侶は自分自身を見つめてどうあるべきか、何をすべきかを考える必要があると思います。昔も「聖(ひじり)」と呼ばれた、お寺を持たない僧侶がいたと聞いています。僧侶自身が何をなすべきかをしっかりと持って、その上でハードとしてのお寺の強さと結びつくと、僧侶とお寺の関係は、鬼と金棒の関係になると思います。
 
いまや時代の変化のスピードは増すばかりです。商社というのは、常にその変化を受け止めて、新しい仕事を創っていかなければならない業態です。商社の仕事はまさに「諸行無常」だと思うんです。その「諸行無常」の教えを本来もっとも理解しているのは僧侶であるはずです。僧侶こそが時代の変化に最も敏感でなくてはならず、変動の時代をリードしていく存在であるべきではないでしょうか。
 
国際文化会館で行われた新渡戸国際塾の様子(2018年撮影)
 

現代において僧侶が果たすべき役割

   

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掲載日: 2020.10.23

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