お寺の子、「ジョビジョバ」になって僧侶になる|木下明水さんインタビュー<前編>
阿弥陀さまのものさしに出会って、もっと阿弥陀さまを好きになる
(写真提供:木下さん)
――お寺を出ようと決めて東京に出られてから、僧侶として活動を始められるまで、仏教とのかかわりは無かったんでしょうか?
木下:大学時代は母の勧めもあって夜学で東京仏教学院にも通っていたんですが、演劇とかが楽しくなりすぎて出席日数が足りなくて。2年目に院長先生に「身が入らないときに、浄土真宗や仏教の学びをしても身につかないと思うよ」と退学を勧められて、よろこんで退学してしまいました。
それでも、大学の4年間が終わった後にまた母に言われて、芸能活動と並行して、仏教を学ぶために龍谷大学に学士編入したんですよね。
龍谷大学は京都にあるので、講義やゼミがある日は、朝から新幹線に乗って京都に向かって、講義を受けて、そこからまた新幹線で東京に帰って仕事をしていました。そのころには東京の芸能事務所に所属していましたし、レギュラー番組もありましたから。
そんな生活をしながら、なんとか龍谷大学の大学院まで卒業しました。ですが、そうした学びも、東京仏教学院のときと同じように全く身につきませんでしたね。形だけだった気がします。
――それでも、木下さんは僧侶の世界に入る決意をされたんですよね。いったい何があったんですか?
木下:熊本の別院で、深川倫雄(ふかがわ・りんゆう)和上の講義を聞くご縁があったんですが、これが本当に衝撃的でした。内容は分からないことも多かったんですが、それでもあんなに嬉しそうに仏さま、阿弥陀さまの話をしてくださる方に、それまでお会いしたことがなくって。
お話を聞いていて、僧侶の世界は自分が思っていた以上に深くて広いのでは?と思えたんです。
――それまでお寺にも、仏教にも興味を持てなかった木下さんが、そう思われたというのは、凄まじいことですね。
木下:それまでの私は人間の立場、人間のものさしでしか物事を考えたことがありませんでした。ですが深川和上はすべて阿弥陀さまのものさしでお話をされていた。
その、人間のものさしを離れて、阿弥陀さまのものさしで、にこにことお救いのお話をされる姿から、阿弥陀さまのはたらきを大きく感じたんです。これは、人生のよりどころになる、ありがたいなにかがあるぞ!と。ちょうどそのころは「ジョビジョバ」のメンバーそれぞれがソロ活動に進みはじめた時期で、人生の節目ともいえるときでしたね。
その後、私はホリプロという芸能事務所に所属し直して、芸能活動はわりと順調でした。それでも、パーソナリティをしていたラジオ番組で「実はお坊さんなんだよね」って話をしたら、リスナーから相談が来て、その人たちの人生が仏さまのお救いというか、そうしたものに出会えれば、みたいなことを悩んだりもして。なにか大事件があったわけではなく、そうしたことがじわじわと積み重なって、じゃあ、僧侶をしよう、と。
――お寺で生まれた木下さんならではの新たな一歩で、といった感じでしょうか。
木下:思えば、お寺を嫌いになったことはあっても阿弥陀さまを嫌いになったことはなかったんです。自分の人生にはじめから敷かれていたレールが嫌いで、どうして自分には他の可能性がないんだって思っていましたし、僧侶の世界なんて、堅苦しくて、狭くて、自分にはそんなの無理だ、ってずっと思っていました。
でも、東京から実家に戻る機会があると、あんなにお寺が嫌いだって言っていたのに、それでも阿弥陀さまの前に座って、おつとめをしてから東京に行くんですね。「すみません、継がないと思います、ごめんなさい」って心の中で阿弥陀さまに向かってしゃべっている。仏さまを嫌いだったことはなかったです。
僧侶として生きようと決めたのは、阿弥陀さまをより好きになったからなんでしょうね。
後編ではそんな木下さんの僧侶としての活動、社会との関わりかたについてお話を伺います。
僧侶が僧侶のままで社会に出て行く|木下明水さんインタビュー<後編>