音楽や絵本を通して仏教を伝える、島の僧侶のおはなし│浅野執持さんインタビュー<前編>
浅野執持さん(写真提供:浅野さん)
疲れたとき、クスっと笑いたいとき、悩みを吹き飛ばしたいとき、勇気を出したいとき。
音楽や絵は、そんな人びとの感情に無言で寄り添いながら、人々に元気を与えるものなのかもしれません。
今回インタビューさせていただいた僧侶は、浅野 執持(あさの・しゅうじ)さん。法話と音楽を掛け合わせたイベントの企画をしたり、絵本を通して正信偈の世界を伝えられています。
前編では、浅野さんの生い立ちから、若者が集う仏教×音楽イベントのお話をうかがっていきます。
漠然とした将来の不安
――まずは簡単に自己紹介をお願いします。
浅野執持さん(以下 浅野):愛媛県万福寺の浅野執持です。万福寺があるのは大三島(おおみしま)という島で、広島県と愛媛県の間にある島々の中の一つです。しまなみ海道のちょうど真ん中あたりの島ですね。最近はサイクリングでにぎわっているようですが、昔から海運業が盛んな町です。
――そんな島の寺院で、浅野さんはどのような幼少期を送られていたのでしょうか?
浅野:私が育った万福寺は、ある程度規模のあるお寺だったのですが、地域では過疎が進んでいて、子どもの頃からそれを実感していました。将来私は、お寺は、この地域はどうなるんだろうっていう不安が幼少の頃からありましたね。
将来に漠然とした不安があるお寺からは離れて、違う仕事をしたいなと思っていましたが、小さい頃から後継ぎは私だと言われていたためか、自分のしたいことはできたとしてもどうせ続けられない、と仕事に関してはネガティブに育ってしまったように思います。
大学も、両親に説得されて、行きたかった理系の大学ではなく文系の龍谷大学に行くことになりました。ただ、それでも専攻は浄土真宗を学ぶ真宗学科ではなく哲学科を選びました。少しでも違うところに行きたい、という反抗心があったんだと思います。
写真左 浅野さん(写真提供:浅野さん)
――お寺から離れたいと思われていた学生時代を経て、その後どのような道を歩まれたのでしょうか?
浅野:学生時代から芸術全般に興味があり、そして地元の美術館に学芸員が不在だったこともあり、学芸員を志し大学で資格を取得して採用試験を受けました。この学芸員としての経験がその後の人生にも活きていますね。
現在は広島仏教学院という仏教を学ぶ学校の講師をしており、宗教概論という授業を担当しています。大学で宗教哲学を勉強していたこともあり、そういった視点も取り入れながら授業をしていますね。またそういった仕事もしながら、お寺の法務や運営と布教活動もしています。
お寺とは違う道に進みたいと思ったこともありますが、それでもやっぱり過疎の進む地元と、お寺の未来が気になったんです。どんどん元気がなくなっていく地域やお寺をどうしたらいいかと、美術館を退職した後は寺院運営に関するアンテナを張って、勉強するようになっていましたね。インターネットを中心に活動する僧侶たちのコミュニティ「メリシャカ」に参加するようになった理由には、寺院運営や法座活動を活性化するための糸口やヒントが見つかるかもしれない、という思いもあったんです。
美術館で僧侶としてギャラリートークをする浅野さん(写真提供:浅野さん)