「お前の代わりはいくらでもいる」と言われたIT企業時代。工夫で寄り添う糸島のお坊さんの話│中島至さんインタビュー<前編>

(写真提供:中島さん)

 
福岡県にある玉栄寺(ぎょくえいじ)。このお寺には、ときに門信徒の「なむあみだぶつ」、子どもたちの笑い声が響き、ときに家族が家族の時間を過ごし、ときに対人関係に悩む人びとが集います。
実はこの玉栄寺、もともと住職のいないお寺だったそうです。
今回のインタビューは、玉栄寺住職の中島至(なかしま・いたる)さん。中島さんが玉栄寺をもり立てるため実施された工夫や、心構えについてうかがいました。
 
 

理想と現実のギャップに苦しみ僧侶に

 
――本日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
 
中島至さん(以下:中島):中島至、釋至心(しゃくししん)と申します。私はお寺の次男として福岡県糟屋郡志免町に生まれました。早くから兄が実家を継ぐと決まっていたので、学生時代は自由に過ごしていました。大学卒業後はIT企業に就職。そこで理想と現実のギャップに悩んだんです。
 
――理想と現実のギャップとは?
 
中島:お寺のご法座では、「あなたはかけがえのない存在ですよ」と何度もお聞きしました。そんなご法話とは打って変わって会社では、「お前はだめだ」、「こんなこともできないのか」、「お前の代わりはいくらでもいるんだ」と散々言われたんです。それぞれが両極端なことを言っていて、とても悩み苦しみました。
 
そんなとき、実家のお寺が携わっていた障がい者施設へボランティア活動に行ったんです。そこでは私を必要としてくれる人がたくさんいました。お寺の活動は幅広く、可能性が無限に広がっていると感じた私は会社を辞め、すぐに得度を受けました。
 
――必要とされているのかされていないのか。その狭間で思い悩まれていたときの転機だったのですね。得度されてからはどのように生活されていたのでしょうか?
 
中島:最初は広島県のお寺で法務員をしました。お寺には毎月いろんな布教使の方が来られてご法話をしてくださいました。阿弥陀さまのありがたさを伝えてくださるそのお姿に憧れ、私も布教使になりたいと思うようになったんです。
 
そこから布教使の資格を取得し、新聞配達のアルバイトをしながら親戚のお寺などにご縁をいただいていました。そうして数年が経った頃、「(福岡県)糸島市にある玉栄寺というお寺が住職不在だから入寺しないか」というお話をいただき、夫婦で入寺しました。
 
――布教使になられて、大変だったことはありますか?
 
中島:入寺した当時は、ご門徒数が非常に少なく経済状況は非常に苦しかったんです。そのため安定した収入もなく、布教で生計を立てないといけない状況でした。しかしそういう意識で行う私の法話は、違和感を感じつつも次第に布教の依頼をしてくださったお寺さんに「ウケる」法話になっていったんです。
 
そして5、6年が経った頃、生活のために布教をしているからおかしくなったんだ、とやっと気づくことができました。まずは私自身が阿弥陀さまをありがたいと感じ、そして素直にご法義をよろこぶそのままをお伝えさせていただく。その結果として、少しずつ生活が安定していくんだと考えられるようになり、気持ちが楽になりましたね。それと同時に自分の法話のスタイルも変化してきました。
 
――生活のためとはいえ、いつの間にか「ウケる」法話になっていたことに気づかれ、またその気づきによって、布教使として原点回帰されたということですね。
 
 

玉栄寺のご法座のポイントとは?

   

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掲載日: 2022.09.13