バンドマン人生を「完成」させた僧侶のおはなし|百濟高昌さんインタビュー<前編>

 

百濟さんのバンドのライブの様子(写真提供:百濟さん)

 
 

バンド活動を続けていくか、お寺に戻るか

 
――僧侶の道を歩まれ始めたきっかけは何だったのでしょうか?
 
百濟:父の法事で実家に帰ったとき、当時お寺の門徒総代を務められていた方(現責任役員・門徒総代の亀﨑さん)に、「お前帰ってくる気あるんか!」と詰め寄られたんですよ。そのときお寺のこれからのことが現実味を帯びてきて、「今すぐは無理だけど必ず帰ります」と答えました。以前から、いつかはこのお寺に帰ろうという思いはぼんやりあったんですが、それがきちんと意識した最初のタイミングでしたね。
 
それから祖母も亡くなり、バンド活動も苦しくなってきて、現在の仕事にも区切りをつけないといけない、と思うようになっていきました。
 
――決め手となったのは、バンド活動の先行き不安でしょうか。
 
百濟:そうですね……。2枚目のアルバムを出したのが27、8歳のとき。この頃一番脂が乗っていた時期で、ライブには有名な音楽事務所の関係者が見に来てくれて。関西はFM802、関東はJ-WAVEなどのラジオ局も僕たちのバンドを大きく取り上げてくれました。満席の大阪城野外音楽堂で演奏する機会ももらえました。見てくれるお客さんも増えてきて、「これは近いうちにメジャーデビューできるんじゃないか」と。
 
実際具体的な話もあったんですが、結局、そこにうまく乗り切れませんでした。周りにいたバンドがどんどんメジャーデビューして、年下のバンドまで武道館ライブが決まる……。僕たちもどうにか3枚目のアルバムを出しましたが、手ごたえがないんですね。お客さんの動員も増えない。もがけるだけもがく、けど苦しい。年齢もどんどん上がってくる。これはだめかもしれない、と気付きたくなくても気付きました。
 
このバンドで活動を始めて、丸8年。「僕、抜けます」と初めてバンドメンバーに言いました。僕たちと似たような状況でも活動を続けるバンドもいたので、僕抜きで続けるか、どうにか現状維持のままもうちょっとやってみるかなど、メンバーといろんな方法を考えたんですけど、最後に4枚目のアルバムを出して、ツアーを回って、最後のワンマンライブをする2013年6月24日を「バンドの完成」というかたちにしよう、と決めました。
 
この解散をバンド活動の完成の姿にして、仕事も辞めて、退職金でしばらく放浪旅行をして、貯金をすっからかんにして、32歳のときお寺に戻りました。
 

解散ライブの様子(写真提供:百濟さん)

 
 

   

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掲載日: 2022.03.17

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