生きている人と亡くなった人がともにすごせる場を|五藤広海さんインタビュー<後編>

 

誰もがなにかを失いながら生きている世界で

 
――僧侶として活動するうえで、うれしかったこと、楽しかったことを教えてください。
 
五藤:かつてはお葬儀の場から逃げたくて仕方なかったんですよ。誰かが亡くなって、誰かが泣いていて、慰める方法も分からなくて。でもグリーフケアという考え方を知って、自分の中でひとつ筋が通っていったことは、うれしかったですね。
 
おかげでイベントを一緒にしてくれる仲間や、お寺に来てくださるかた、そうした人たちから「五藤さんにお葬儀をして欲しい」と言われることを素直に喜べるようになりました。そうした場でどのように接していくかについて、いくつかの引き出しがある。大切な人を亡くした人がどうなっていくのか、そうした場でどんな話をするのか、全く分からないわけではない。ちゃんと関わろう、向き合おう、と思えるようになれたことは本当に大きいですね。
 

地域でのボランティアでの法話や演奏会(画像提供:五藤さん)

 
――仏教のどんなところを伝えていきたいですか?
 
五藤:「死んだらおしまい」というだけの世界観で生きるのは、なにかを失いながら生きていくこの世界では本当に生きづらいと思っていて。
大切な人を亡くしていくことだってきっとあり得るでしょう。そんなときに、人の世界を越えた世界が、仏教がちゃんとそばにいるよ、ということは伝えたいですね。
 
僕自身がそうであったように、たとえそのときには信仰がなかったとしても「あのお坊さんは亡くなった人がお浄土にうまれていったと信じて、精一杯向き合ってくれている」ということが伝われば。それがその人の宗教との出会いにつながっていくと思います。
 
――これから活動するうえでの理想像があれば、教えてください。
 
五藤:寺院は地域に根ざしたものですから、そうした人たちとのつながりのなかで、どうあるべきか、どうなりたいかが決まっていくと思っています。東京のあの僧侶がかっこいいと思っても、それは岐阜県可児市では機能しないということはあると思うんですよ。ちゃんと地域の人に向き合って、その上でどんな僧侶になっていくのか、その僧侶自身が地域と一緒に変わっていければ、と。
 
 

<編集後記>

寺院を、生きている人と亡くなった人が一緒にいられる場所、亡くなった人のことを「無かったこと」にしないでいられる場所にしたいという五藤さん。
誰もが持つ喪失の体験を入り口に、亡き人への思いや別離の悲しみに寄り添い、寺院をそのための場として開いていくこと。そうした五藤さんの活動は、生死の問題を第一とする仏教の、現代における具体的な姿のひとつといえるように感じました。
 
 

プロフィール

 

五藤広海(ごとう・ひろみ)さん
1986年生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。岐阜県可児市横超山光蓮寺衆徒。2016年より、一般社団法人リヴオンのファシリテーターとして「いのちの学校」「僧侶のためのグリーフケア連続講座」などの場作りに関わり、2021年より同常務理事に就任。光蓮寺での活動を中心として、多くのイベントに携わりながら、岐阜県可児市NPO協会理事も勤める。
 

   

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掲載日: 2022.03.24