仏教を学ぶとは。仏教を伝えるとは。|古川佐奈江さんインタビュー<前編>
み教えに触れて転換させられた価値観
(画像提供:古川さん)
――価値観がひっくり返る時、ハッとさせられることもありますよね。
古川:そうですね。だからこそ、法話でも言葉選びや例え話の選択にも気を配れるようになりました。 例えば、世間では「健康が大事」とよく言われますが、その言葉に傷ついている人もいらっしゃるかもしれない。そういうことに気がつけるのもお聴聞のおかげではないでしょうか。自分の固定的な価値観だと人を傷つけてしまうことがあるんだと教えていただきました。
――古川さんの思う、理想的な法話とはどういったものでしょうか?
古川:私の話を通して、誰も傷つくことがない法話ですね。そのためにも、慎重に法話づくりを行っています。まずは原稿を作って、それを読んで、傷つく人はいないか、嫌な思いをする人はいないかどうかをチェックして、住職や家族にも読んでもらっています。浄土真宗の教えを間違いなく伝えるためには、私の不用意な発言や決めつけで嫌な思いをさせてしまい、お寺は嫌だ、とか法話は面白くないという気持ちを抱いてほしくありませんから。
――僧侶になられてよかったなと思うことや、一方でつらいことはありますか?
古川:つらいと思ったことは特にありませんね。むしろ、仏教のご縁をいただいて、私自身が救われました。 現在、高校3年生になる次男にはハンディキャップがあります。妊娠中に分かり、病院で看護師の方が 「大丈夫ですか」と声を掛けてくださりました。「大丈夫ですか」って聞かれるたびに、私は大丈夫じゃないのか、と不安が増したことを覚えています。 「大丈夫ですか?」という言葉が、他人を不安にさせる言葉だと初めて気づいたご縁でした。
文字通り、お先真っ暗な気持ちになりましたが、いつどうなるか分からない命であるのに、五体満足に無事に生まれてくるだろう、という傲慢な思い込みをしている自分にも気づきました。すべての命は尊く、今を大事に、今出来る事を精いっぱいにするしかない、と前を向けたのも、当時、通信教育で仏教を学んでいた お陰です。その意味で、私は救われましたね。
仏教の勉強は、家事と子育ての合間を縫って行っていました。仏教は難しいですし、大変なこともありましたが、仏教は私の進む道を照らしてくださっています。
――最後に、僧侶としての理想像など、今後のご展望をお願いします。
古川:私は、誰でも話しかけやすい、聞きやすい僧侶になりたいと思います。
阿弥陀さまのお心を間違いなく伝えることができたならば、多くの人が安心を得られると思うんです。そのためにも、私自信としては学び続けなくてはならないと思っています。私の場合は、住職である夫がいますし、わからないことを尋ねやすい環境がありました。
しかし、年齢を重ねるほど、「知らない」という事をいうのには恥ずかしさや勇気がいるでしょうし、聞くのが怖くなりがちではないでしょうか。分からないことをそのままにせず、一人で悩まずに、なんでも聞いて 欲しいんです。ですから、まずは聞きやすい僧侶に、聞きやすい雰囲気を作ることができればと思います。
でも、あくまでもこれは私が目指していることであって、これが「あるべき」僧侶像だとは思っていません。 というのも、私がみ教えに出遇うまで、「あるべき姿」で自分を苦しめていましたから。同じように「べき」という言葉で、自分を苦しめている人がたくさんいると思うんですよ。そのことに気づけたのも、仏教に出遇ったからこそですね。
――ありがとうございました。
後編では、古川さんが約10年間続けられている、保護司のご活動についてお伺いしました。
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人生を立て直すお手伝い。保護司という活動とは。|古川佐奈江さんインタビュー<後編>