世界中を巡って気がついた、海外の宗教観とは?|清藤隆春さんインタビュー<前編>

現在、世界には多くの国や地域があり、その数だけ宗教観は存在していると言えるでしょう。
この度インタビューをさせていただいた浄土真宗本願寺派僧侶の清藤隆春(きよふじ・りゅうしゅん)さんは、その中で、30か国以上も世界を渡り歩き、それぞれの宗教観を味わってこられたといいます。
 
前編となる今回は、そんな清藤さんの生い立ちを聞かせていただきつつ、世界を見て気づいた日本と海外の宗教観の違いについて教えていただきました。
 

清藤隆春さん

 
 

火事場にも飛び込んだ父の背中を見て

 
――清藤さん、今日はよろしくお願いします。まずは、簡単な自己紹介からお願いします。
 
清藤隆春さん(以下:清藤):清藤隆春と申します。福岡県の東迎寺というお寺に生まれました。大学では東洋哲学を学び、卒業後は中央仏教学院へ進学して、得度しました。海外へ旅に出るのが趣味で、これまでに30か国以上を巡りました。その他、大学院時代はイギリスに、また教員としてシンガポールにも長期居住しました。
現在は地元で大学教員を務めており、大学では異文化間教育や宗教社会学を専門に、研究室に集う日本や海外の学生と共に日々研鑽を深めており、授業では宗教を通して人間や社会を考えています。いずれは父の後を継いで東迎寺の住職を務めながら、大学での研究や教育も続けたいと考えています。
 
――お若い頃にお得度を受けられたのですね。
 
清藤:23歳で得度こそお受けしたものの、自分の中で僧侶として生きていくことに納得ができないままで、将来お寺を継ぐことは自分なんかにできないという気持ちもありました。
それは子どもの頃からずっと思っていて、高校時代に先生に相談したことがあるんです。すると、「清藤は、僧侶になることやお寺を継ぐこと自体が嫌なのではなくて、中途半端な知識でそうなるのが嫌なんじゃないか」と助言してくれたんですね。
 
その言葉もあり、大学では東洋哲学を専攻しました。お寺を継ぐことよりも仏教の根源に関心があったので、まずはそれを勉強してみたかったんです。
その後、大学卒業時は進路に悩んでいたのですが、父親から「仏教について知識として学んだと思うが、次は仏教を『生き方』として学んだらどうか」と言われました。そのときの父親のまなざしはとても真剣で、そのとき僕は「知識」ではなく「生き方」としての仏教に興味を持ったんです。それから京都の中央仏教学院に行きました。
 
――学校の先生やお父さまのご助言が今の清藤さんに導いたのですね。お父さまの僧侶としての生き様で印象に残っている出来事はありますか?
 
清藤:父は多くを語らない性格ですが、ご門徒さんを大切にしているなと感じる姿はよく見ていましたね。印象に残っている出来事といえば、私が高校生のとき、ご門徒さんの家が火事になったことがあったんです。父はすぐ駆けつけましたが、ご門徒さんは既に家の中で亡くなられていたそうです。
 
すると、父は火が消し止められるやいなや「すぐお経をあげないといけん」と言って、家の中に入って行ったんです。火事自体も私の中で大きな出来事ですが、そのときの父の姿が今でも鮮明に記憶に残っていますね。
 
――それはなかなかできることではないですね。
 
清藤:そうですね。僧侶としての責任感・使命感が強い父だったので、私は一度「これから、どれだけの人が仏教を必要とすると思う?」と問いかけたことがあったんです。すると父は「仏教の必要性は、もしかしたら人生で苦労をした経験がないと気づかんかもしれん。仏教を必要とする人をたくさん知っているし、たとえ時代が変わっても、仏教を必要とする人はこれからも存在し続けるのは間違いない」と言っていました。
私も当時とは年齢も環境も変わりましたが、「お寺を護っていくにはどうすればいいか」と考えたときにまず思い浮かぶのは父の姿です。
 
私は学問として宗教やそれを取り巻く文化を相対的に見てきましたが、本当にこれでいいのか?と葛藤することもありますね。
とはいえ、私は私なりの方法で仏教と向き合って行こうと思っていますし、父とは今でも私が所属寺へ帰ったときに対話や議論を深めることもあります。
 
 

30か国以上の国を訪れた清藤さんが考える「宗教」とは?

   

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掲載日: 2022.11.01