世界中を巡って気がついた、海外の宗教観とは?|清藤隆春さんインタビュー<前編>

 

30か国以上を訪問して気づいた、日本と海外の宗教観

 

研究の調査地のモロッコ(写真提供:清藤さん)

 
――シンガポールやロンドンなど、30もの国を巡られてきた清藤さんですが、そもそも、海外に行こうと思われたきっかけはどういったものだったのでしょうか?
 
清藤:宗門校の教員として働いていたとき、漠然と「他校ではどんな宗教教育がなされているんだろう?」と思うようになったんです。加えて、私は旅やフィールドワークが趣味だったので、せっかくなら海外で教員をしてみようと思い立ったのが直接的なきっかけでした。
 
――多くの国を巡られた中で、印象的な国や出来事はありますか?
 
清藤:印象強かったのは、インドでしょうか。大学のときに東洋哲学を学びながらインドや中国の仏教については書物で勉強していたんですよ。でもインドに行ったことはなかったので、20歳のとき一度この目で見てみたいと軽い気持ちでインドに行きました。そのとき「あ、これは机の上で勉強するより旅を通して学ぶ方が性に合っている」と強く感じたんです。
 
――それはどうしてですか?
 
清藤:そうですね……簡単に言うと、本を読んで哲学をするのも良いんですが、宗教的な場所へ赴いて、そこでのフィールドワークを通して哲学をする、そのようなアプローチの学問的な方法が楽しいと思ったんです。
 
例えば、当時、イスラム教やキリスト教などの宗教的な聖地によく行っていました。そして、聖地の周辺ではいろんな人の物語があることも目の当たりにしました。なぜ、人は巡礼や儀礼をするのかというと、日常空間から離れて宗教の中心的な聖なる場所に行くことで、人は大いなるものの力を受けていることを実感するからかもしれません。そうして自分の人間性を改めて知っていくんでしょうね。また、そういった場所で出会う人からも大きく影響を受けるんだろうなと思うんです。
 
インドは自死者の数が多い国でもあります。もちろんそれは悲しいことですし、危惧するべき事実なのですが、亡くなる人が多い理由として社会的な生きづらさに加えて、大いなるものに自分を委ねても良いと思えるような宗教的マインドに持っていかれる部分が大きいんだろうなとも思います。
これは本を読んだだけでは実感はできませんし、実際にそこへ行って現地に入り込むことでしか得られないことです。また、それを学問的に捉えることを自分の仕事にできたらいいなと思うようになりました。
 
――日本では見られない光景かもしれませんね。
 
清藤:日本の制度は、人間が根源的に必要としているものに対して距離をとらせようとしているように思います。イギリスの大学院へ留学したとき、自身の宗教が何かを入学時に聞かれましたし、学生同士で「宗教って何?」とか「何を大事にしているの?」といった会話がごく普通に行われていました。海外ではそれが当たり前なら、日本は不自然なのではないかと思ったんです。
 
――日本人が「宗教」に対して距離を置こうとするのは何故だと思われますか?
 
清藤:ごはんを食べる前に手を合わせるのも仏教由来ですが、今は改めて手を合わせる意味を考える機会が少ないように思います。大学の授業で学生たちにそれを問い直したときに、「いただきます」のルーツを学生に説明すると「日本人なのに知らなかった」とか「それってすごい大事だと思う」とか「意識するようにします」とか言ってくれる学生がいたんですよね。彼らがルーツや意味を知らないだけで知れば関心を持ってくれる一方で、宗教という言葉をカルト宗教というイメージで使う人も多いでしょう。その場合むしろ距離を置きたくなる人もいると思います。
 
だからこそ、いわゆる伝統宗教は工夫をして、もっと宗教を知らない人たちに働きかけていってもいいのかなと思いますね。
 
――まずは伝統宗教を知ってもらい、丁寧に接点を持っていってもいいのかもしれませんね。
 
清藤:確かに、それは必要なことだと思います。日本では、あやしいものを見極めつつ、自分の存在やアイデンティティを知るためにも宗教を知る機会が増えてほしいです。そうして宗教に意味を感じてほしいですね。
 
――ありがとうございました。
 
 

 

   

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掲載日: 2022.11.01

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