愛敬・愛相[あいきょう・あいそう]の意味とは?【くらしの仏教語豆事典】
愛敬・愛相[あいきょう・あいそう]…仏さまのお顔を拝めば
「男は度胸、女は愛嬌(あいきょう)」とか、「愛嬌をふりまく」など、
愛嬌といえば、にこやかでかわいらしいことや、
愛想のよいことを意味する言葉として知られています。
この愛嬌は本来、愛敬と書き「アイギョウ」と読んで仏教語でした。
愛(いつく)しみ敬(うやま)うことを意味したのです。
仏【※】・菩薩の容貌は温和で慈悲深く、
拝む人たちが愛敬せずにはおられない相(そう)を表しておられるので、
その相を「愛敬相」といいます。
愛敬は、その愛敬相から来たものなのです。
また、「愛想がよい」とか、「愛想が尽きた」などと使われている愛想という語も、
本来は愛相で、そのもとは同じ愛敬相から出た語のようです。
同じ愛敬相から、「愛敬・愛相」が生まれ、
それが「愛嬌・愛想」となっていったようですが、
いずれも、もとは仏さまのお顔の相だったのですね。
【※『仏・菩薩(ぶつ・ぼさつ)』】
仏や菩薩のこと。仏教では地獄から仏の世界までを十種に分けて「十界」という。
地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・が迷いの世界で、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩・仏が悟りの世界である。大乗仏教では、声聞・縁覚は自利のみの修行者だと批判し、自利と利他行を実践する菩薩と区別した。仏と菩薩は悟りの世界の方々である。
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掲載日: 2013.05.20