心の在りよう見つめ、どう制御するか【釈尊のことば】
心の在りよう見つめ、どう制御するか
(写真:AC)
(『本願寺新報』 2015年(平成27年)6月10日(水)号より)
「心は捉えがたく、軽くたちさわぎ、欲望のままに動き回る」(35偈)、「心は遠くにさすらい、独り動き、姿かたちなく胸の奥深くに潜んでいる」(37偈)と前後にも心について述べられます。
心って、本当に不思議です。喜んだり、悲しんだり、また苦しむ。しかも、悲しもうと思って悲しむわけでなく、喜びたいと思って喜べるわけでもない。自分の心は自分のものでありながら、思い通りにならず、頭で制御することもできません。この偈は、欲望に振り回される心は、見ることもできず、捉えがたく、制御するのがとても難しいと言っています。
私の心って、身体のどこにあるのでしょう?心は、心臓や肺などの身体の一部のような存在ではありません。で、心は「物」でない。空(くう)の思想家・龍樹菩薩なら「心という言葉だけがあり、実際には存在しない」といわれるでしょう。実体なきものにしがみつくから苦しみが生じる、というのが思想の根本だからです。でも、デカルトの「我思う、故に我在り」に倣えば、「心が(喜怒哀楽を)感じる、故に心在り」とも言えます。まったく「心は見がたく、微妙で」「捉えがたい」という通りです。私たちが「心」というのは、物的な存在でなく、喜び悲しむ「はたらきそのもの」なのでしょう。
心の在りようを見つめ、どう制御するかを探求してきたのが仏教です。これは人類の精神史でも際だった特色です。そして、人間の心の在りようや欲望の根深さを見抜かれたのが、親鸞聖人なのです。
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