諦め[あきらめ]の意味とは?【くらしの仏教語豆事典】


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2012年12月27日
記事作成:他力本願ネット

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諦め[あきらめ]…ほんとうは力強い語

 

どうにもならないことをくよくよと考えないで

断念することを「あきらめる」といいます。

 

お釈迦(しゃか)さまは、

悟りを開かれた後、

ベナレスのミガダーヤで5人の友人たちに、

初めてその法を説かれました。

 

初転法輪(しょてんぼうりん)と呼ばれているのが

それで、その説法の内容が

「四諦(したい)」の教えでした。

 

「諦」とは「まこと」とか「真理」という意味で

、動詞として読むときには「あきらめる」、

すなわち、明らかに真実をみる

という意味なのです。

 

お釈迦さまはその悟りの内容を、

 

苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)

 

の4つの真理に分けて教え、

それを見ることによって、

真理を知ることができると説かれました。

 

だから、「諦」という語は、

現在のように消極的な用い方ではなく、

真理を悟るという力強い語なのです。

 

しかし、そのとき、自分一人の力ではどうにもならないことを悟るのが、本来の意味なのかも知れませんね。

 

 

「くらしの仏教語豆事典」より転載
(ホームページ用に体裁、ふりがな等を調整しております)
 
     

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掲載日: 2012.12.27