「つながりが切れやすい時代だからこそ、“敬う心”を」せいざん株式会社池邊文香氏インタビュー<前編>

手を合わせることで、自分を見つめ直す

 
ーーこの平和な世の中においては、手を合わせることの意味はどう捉えたらよいでしょうか?
 
池邊:日本は物質的に豊かになって、医療の発達で「死」が身近ではなくなり、遠いものとなりました。幼い頃から手を合わせる習慣がなくなり、いのちに対して「ありがとう」、「いただきます」、と手を合わせることもたしかに少なくなりました。
その一方で、私のまわりの経営者を見渡してみても、お墓参りに行く方はとても多いです。大きな勝負事があるとき、家族にも会社仲間にも相談できない事がある時、最後に頼れるのは人間じゃない何かで、神仏や故人と会話をすると、心がととのう気がするというのです。
 
自分の立ち位置や生き方の軸が見えづらい時代、自分と向き合う場所が求められています。誰しも友達や家族、職場の人にも言えないことってありますよね。
安心して自分を吐露できる居場所が減っています。きちんと受けとめてもらえて、心が穏やかにととのっていく、荒ぶる気持ちが鎮まっていく時間が求められています。お仏壇やお墓の前で亡くなったおじいちゃんに手を合わせたとして、そのときおじいちゃんが直接答えをくれなくても、「おじいちゃんだったらなんと言うだろう」と想像することで、結果的に自分と向き合う時間になるでしょう。
マインドフルネスが流行ったのも、自分と向き合うことが求められているからだと思います。自分と向き合う中で、本当は自分はなにがしたいのか?を確認し、先祖や周囲への感謝を思い出し、自分さえよければいい、ということが減っていくとすれば、手を合わせるという行為はとても良い仕組みだと思います。
 
私はマンション暮らしですが、仏壇の前で毎朝、「池邊家みんな一丸となって頑張ります」、と宣言をしています。そうすると今日も子孫としてちゃんと生きよう、とスイッチが入るんです。両親が信心深かった影響も大きいかもしれません。
 
人から見ていいことよりも、神仏から見ていいことをしなさい、という教えを受けてきました。また、大切な叔母もガンで亡くなったことで、自分の身近に死が迫ってきたように感じています。今年行った家族旅行も来年には行けないかも、という思いになり、いのちは当たり前じゃない、と肌で感じるようになりました。いまも叔母に見られている、という感覚があります。「見られている」感覚によって、自分のふるまいを見直すようになります。
 
手を合わせる心は人を育ててくれますし、それがなければ自分勝手な人間になってしまう気がします。そういった原体験があり、どうやったら自分だけでなく他の人にも手を合わせてもらえるだろうかと思うようになり、今の仕事に就くに至りました。
 
 

   

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掲載日: 2021.10.05

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