宗教は、行政・企業が救えない人々のセーフティネットに|赤堀正卓さん(『終活読本ソナエ』元編集長)インタビュー<後編>

 
前編に引き続き『終活読本ソナエ』元編集長の赤堀正卓(あかほり・まさたか)さんにお話を伺いました。
 

 

終活参入企業は利益優先でよいのか?

 
ーー終活の問題点はなんでしょうか?
 
赤堀:死んだら遺体をどうする、死後の事務手続きをどうする、葬儀、墓をどうするといった終活領域は、従来は家族、親戚、近所、知人が担い手でした。お寺(僧侶)も担い手の一つだったでしょう。ですから、企業はなかなか参入しにくい分野だった。「マーケット」というよりも、「心」「宗教」の分野として認識されていたのだと思います。ですから「マーケット」としては手付かずの領域として残されていました。
それがこの数年、さまざまな企業がこの手つかずのマーケットに殺到してきました。ベンチャーから大企業まで。金融、流通、士業、その他多様な業種が参入しています。
 
極言すれば、彼らは「心」や「宗教」、たとえば、そもそも葬儀やお墓がなぜあるか、ということに関心が無く、シニアマーケットに参入して、市場を踏み荒らしています。利益を優先する企業の経済的な論理に振り回されるのはいささか問題です。
 
また、企業の多くは所得が高い人が主なターゲットです。たとえば信託銀行も富裕層が主なターゲットというのが現実ではないでしょうか。誰にでも死は訪れるのに、持たざる人が取り残されてしまっていることは問題です。私は、終活は利益至上主義の活動にはしてほしくないと思います。
企業の論理は、「安く」「簡素に」「全国一律」が基本です。本当にこればかりでよいのでしょうか。企業の論理が支配して、人々がそれでいいんだ、と思わされている側面があります。たとえばテレビCMでの「葬儀は安ければ良い」というメッセージに影響されすぎてはいませんか。
 
正直、私は「ハートのある企業」というものを、ほとんど見たことがありません。関係性を大切にして、お世話になった方に声をかけてちゃんとお別れしましょう、という企業は少ないです。
宗教家がもっと生前からのお付き合いを大切にし、相談にのっていれば、そもそも終活の光景がこんなふうにはならなかったかもしれません。終活をしている人からすると、なぜお坊さんが必要なのかがわからないのだと思います。
 
宗教者や仏事業界は、お墓や仏壇がなぜ生まれたのか、現在のようなスタイルになったのか、ということもこれまで曖昧にしてきた側面があります。これでは高いお布施に対する納得感を提示できませんし、資本主義の企業の論理には敵いません。
仏教系の大学のカリキュラムでは、教義は教えますが、葬儀など現場のことはあまり教えません。何のために葬儀があるのか、もう少し噛み砕いていただくとよいのではないでしょうか。
 

壇蜜さんらをゲストに、イベントも開催された(2018年・東京)(写真提供:産経新聞社)

 
ーー今後、葬儀はどのように変化していくでしょうか?
 
赤堀:小規模な家族葬が増えていくと思います。少子化によって家族が小さくなり、高齢化によって、故人も喪主も会社を退職しているというケースが増えるので、当然のことです。でも、別れの気持ちまでも、小さなものにはしてほしくないですね。一方で、高齢人口はまだ増えていますから、葬儀件数は増えていきます。
 
小規模化によって、大型の葬儀ホールは廃れていってしまう可能性があります。逆に、寺院葬などは、葬儀ホールの受け皿として増えていくかもしれません。
また葬儀が多様化し、新宗教の葬儀やお墓が増えていく可能性があり、伝統教団の脅威となるかもしれません。戦後に急成長した新宗教は、既存仏教とのすみわけのため、葬儀をすることを遠慮してきました。しかし、新宗教信者も3世、4世となって、寺との縁がなくなってきましたからね。
 

安易な終活は、かえって絆を断ち切ってしまう

   

Author

 

他力本願ネット

人生100年時代の仏教ウェブメディア

「他力本願ネット」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)が運営するウェブメティアです。 私たちの生活の悩みや関心と仏教の知恵の接点となり、豊かな生き方のヒントが見つかる場所を目指しています。

≫もっと詳しく

≫トップページへ

≫公式Facebook

掲載日: 2022.07.05

アーカイブ