「カリー寺」「よいかなよいかな」「教育に関わる雑談する会」……多くの催しを行ってきた西正寺 中平住職が考える、お寺のあり方とは
お寺は「使う」場所ではなく「使われる」場所?
2019年に行われた「カリー寺」の撤収作業(写真提供:カリー寺スタッフ)
――中平さんが思う、「お寺」とは何だと思われますか?
中平:「お寺とはなにか」ということを考えるとき、「お寺を使う」という言い方に対する違和感を感じることがありました。実際に「お寺を使って下さい」とか、「お寺を使う」という言い方は私もすることがあります。でも、「お寺を使う」という言葉を突き詰めたときに、違和感を覚えるんですね。じゃあ、「住職は思い通りにお寺をつかっていいのか」とか、「何かのためにお寺を使うのか」のかとか…。
そこで思い至ったのは、「お寺の法要だから…」、「お寺の行事だから…」とご協力してくださるご門徒のすがたです。掃除や準備に、自分の時間や労力を使ってくださる、経済的にも応援してくださっている。その姿には「お寺の使い方」という問いはないんです。むしろ、お寺のために自分や自分のものを使うという姿なんですよね。
私自身も、このお預かりしているお寺のためになにができるのだろうと考えています。それが住職の仕事じゃないかな。そういう意味では、信仰の世界では、「主客が逆転する」ということがあるのだろうとも思います。「使う側」ではなく、「使われる側」になるというか。
数年前から「お寺を掃除したい」という人たちが、おそうじをしに来てくれるイベントがあります。「おてらのそうじ」と名付けています。少し離れたところからも、比較的若い人たちが参加してくれます。「自分の家や部屋はおそうじする気になれないけれど、お寺をおそうじするのはとても気持ちがいい」という人もいます(笑)。
お寺はお寺なんだ
西正寺の外観
――お寺は何かを求める場所ではなく、何かを差し出す場所なのかもしれませんね。
中平:「お寺」ってなんなんでしょうね(笑)。お寺らしくってなんでしょうか?僕はお寺ってなに?という問いに「お寺は、お寺なんだ」としか答えられないようになれたらいいなって思っています。説明できるのというのは、「なにかに置き換えられる」ということでもあるように思っています。
お寺が当たり前すぎて、かえって「説明するのが難しい」というくらいになれば、そこではじめて「お寺が当たり前のものになる」、「お寺がお寺になる」ということになっているのではないかなぁ。
――「お寺はお寺なんだ」ということですね。
そんなお寺の魅力って何だと思われますか?
中平:お寺の魅力って、「お寺にずっといる僧侶だからこそ気付かないもの」があるように思っています。今までお寺と接点のなかった人たちとの関係が構築されていく中で、お寺に対する新たな魅力を教えていただくこともあります。
以前、ある方が「本堂の縁側に座っているのがとてもきもちいい」とおっしゃってくださいました。私には、本堂の縁なんて、人を座らせる場所じゃないって思っていました。でも、座ってみると確かに気持ちいいんですよね。他に例えようのない風景も見えます。お寺の常識の外にいらっしゃる方だからこそ、気づかれた魅力だったように思います。
2年ほど前、ゴールデンウィークに地域の方が家族連れで来られたんです。理由を尋ねると、「暇やから娘と一緒に遊びに来た」と。うちのお寺の石畳で遊んでるんですよ。その様子を見て「なんかええ風景やな」と思って。連休の過ごし方としてお寺を選んでくれるって、うれしいですよね。
――休みの日にお寺で過ごすという選択肢があるのはうれしいですね。そして、一般的には叱られる「落書き」という行為を「なんか良い」と思える僧侶が居るのも魅力かもしれませんね。
中平:世間一般とは違った価値観を持っている空間や人の姿が魅力に映るのかもしれませんね。お寺や僧侶が「商売」とか「営利」といった価値観からどれだけ離れられているかが期待されているのかもしれません。
――最後に、今後の展望を教えて下さい。
中平:これから今まで通りのお寺のあり方っていうのは、とても難しい時代になるでしょうね。しかし、急激にお寺の姿を変えてしまっては、今まで大事にしてきた人たちをないがしろにすることにもなるように思います。
将来にわたってお寺が持続できるあり方をゆっくりでも、丁寧に作っていく必要があるのではないでしょうか。
日本の人口や、社会が大きく変わっていく中でも、お寺のあるべき姿、ありたい姿を考えていかないといけないでしょうね。
――ありがとうございました。
編集後記
今回は、数多くの催しを行ってきた西正寺の中平さんに、お寺でイベントを行う意義や、お寺の持つ魅力といった、非常に本質的なことを教えていただきました。イベントよりも日々のお勤めが大切、少し立ち寄ってベンチに座れるだけでもお寺の魅力になる……さまざまな試みを行ってきた中平さんだからこそ得られた気付きなのかもしれません。中平さん、ありがとうございました。