持続可能な環境を実現するまちづくり② 自然環境に寄り添う経済<前編>

持続可能な環境を実現するまちづくり②
  自然環境に寄り添う経済<前編>

 
 

菱川 貞義(NPO 法人いのちの里京都村理事/浄土真宗本願寺派総合研究所委託研究員)

 

 

お金による時間の搾取が共同体や地球環境を破壊する

 

 
前回は「環境問題の解決を可能にする新しい共同体」について論じましたが、今回は共同体を弱めている力と私たちが向かうべき方向について考えてみます。私は、環境問題や集落の問題と向き合ってきて、人間を混乱させているモノは「お金の仕組み」であると確信しています。この混乱を解消するためには、お金の仕組みの何が問題なのかを理解し、私たちの行動にどのような影響を与えているのかに気づき、私たちが変わる必要があるでしょう。
 
農村に行くと、「お金よりも家族よりもいちばん大切なものは講(小さなコミュニティ)です」と話される住民と何度か出会います。仕事のことも、子どもの教育のことも、将来のことも、葬式のことも、災害に遭ったときも、講があれば心配はない、といいます。このように共同体がしっかりしている集落の住民は、あまり未来のためにお金を貯めようとは考えていません。年収を増やしたいなど経済面での成長にもそれほどとらわれることがありません。日々の暮らしがうまくまわっていれば十分なのです。お金より共同体を大切にしているのです。地域(自然を含めた共同体) に依存している暮らしです。
 
こうした人たちの仕事ぶりはといえば、農家や加工所で働く人は、食べる人を想いながらつくります。大工や鍛冶職人は、使う人を想いながらつくります。手間を惜しみません。食べる人や使う人が気づかないようなところも手を抜きません。大量につくろうとも思いません。共同体のなかでは信用こそが財産であることを体が知っています。
 
一方、共同体よりもお金を大切にしている人はどうでしょう。これは私たちの今の暮らしぶりかもしれません。仕事のことも、子どもの教育のことも、老後のことも、葬式のことも、事故や災害に遭ったときでさえ、人には頼れません。全て売られているサービスで解決しなければならないので、とにかくお金が必要になります。未来のことは全てお金が決定している、といえるのかもしれません。そのため、年収などの経済的成長は絶対的な条件となります。将来のために、その日の暮らしや他人との交流を控えつづける暮らしです。こうした人たちは働く上でも、基本的には目の前のことを重視します。時間あたりの作業効率のために、必要のない部分はどうしても労力を惜しまざるを得ません。とにかく大量につくり、ため込み、売ることを考えます。究極的には信用よりもお金を取らざるを得ないところまで追い込まれてしまいます。
 
もしも、お金という存在がなかったら、将来のために時間を使って貯め込んでおくようなことはできません。たとえ大量の食品をつくり、貯め込んだとしてもすぐに劣化してしまうからです。そうなると食べるのに必要なだけの仕事をして、余った時間を、今、他の何かのために使うことが求められるでしょう。その使い道が現在自分の所属している共同体を豊かにすることでした。なぜなら、自然環境や人々との共生関係があってはじめて仕事や生活が成立することに疑いがないからです。
 

 
現代社会は多くの地域の共同体が急速に弱体化していますが、それはお金に依存した生活の人の割合が増え、共同体のために時間を使う人が少なくなったからです。その意味では、お金が共同体を解体している、といえるかもしれません。また、お金に依存した生活が行き着く先は、コストカットであり、時間の搾取です。大金の移動が可能になり、貸し借りが容易になった世界では、より多くのお金を借りて、より生産能力の高い設備を整えた者が、市場で商品を安く、大量に売ることができます。他者が新しい設備で追いついてくれば、さらに高い生産能力を求めて借金を重ねます。この多額の借金を返すために行きつくのがコストカットです。
 
素材や部品代をできる限り押さえ、消費者に見えない部分も徹底的にカット。そして人件費も抑えるべきでしょう。人件費を抑える、ということは、働く人間の時間を買い叩く、ということです。働く人は食べていくためのお金を稼ぐために、より多くの時間を売らねばなりません。これが時間の搾取です。
 
さらにこの時間の搾取の範囲は、地球環境にも及びます。例えば石油や天然ガスなどの化石燃料は地球が数億年かけてつくりあげたものですが、これを採掘するとき、私たちは地球そのものに何も対価を払っていません。採掘することや、精製する人間の労力には価値を認めますが、それをつくりだした地球環境には何の補償もしていないのです。水や鉱物も同じです。搾取するだけ搾取して、それをつくりだす地球環境には何の補填もしていないために、地球環境問題が引き起こされています。
 
お金は所持することに限界がありません。いくらでも持ててしまいます。そして地球上にいくらでも存在できてしまいます。食料のように劣化することもありません。電子データとなった今、それはますます加速しているでしょう。持ちきれない、ということがなく、悪くなる前に使い切れない、という限界もありません。つまり、いくら持っても、もうこれ以上必要がない、という状態は(少なくとも物理的には) 訪れないということです。このお金の性質は、持てるならばいくらでも持とうとしてしまう私たちの性質とあいまって、私たちを「足りている」「もうこれ以上必要ない」という気持ちにさせず、いつまでも「足りない」気持ちにさせ続けます。そのため、私たちはお金に依存する限り、未来に対する不安からお金を稼ぐことにばかり時間を使い、共同体を放置して解体しつづけ、いくらでも環境に負荷を与えて搾取を続けてしまうという負のサイクルの中にいるのです。
 

Profile

 

 

菱川貞義(ひしかわ・さだよし)
講談社こども美術学園講師、印刷会社、デザインプロダクションを経て、1989年に広告会社(株)大広に入社。デザイン、コピー、プロモーション、プランニングの仕事をしながら、地球環境プロジェクトチームとして滋賀県・NTT共同プロジェクトに参画し、「市民参加型情報ネットワーク」の社会実験「びわこ市民研究所」を運営。
2006年から環境に負荷をかけない自然農を実践。
2008年には「275研究所」を社内ベンチャー組織として立ち上げ所長に就任。2012年に農村再生をミッションとするNPO法人いのちの里京都村を設立。
2014年からは浄土真宗本願寺派総合研究所の他力本願.net のプロジェクトに参加、委託研究員として「1000年続く地域づくり」をテーマに、まちづくり、セミナー、ワークショップ等を行う。

 

   

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掲載日: 2021.05.04

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